GOOD TALK

計画性なく、何かふっと降りてきたものに、躊躇せずに着手するというのが私のやり方です。Vol.19[2026年12月号]

俳優・画家 片岡 鶴太郎
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アパグループ専務 元谷 拓

「幸運の女神は前髪しかない」。到来を見逃さずに掴まないと、チャンスは逃げていってしまう。

アパグループ 専務 元谷 拓

十八歳で片岡鶴八師匠に弟子入り、「オレたちひょうきん族」などのテレビのバラエティ番組でブレイクした片岡鶴太郎氏が今回のゲスト。その後プロボクサーライセンスを取得したほか、数々のドラマや映画で俳優としても活躍。また、個展を開催するなど画家・芸術家としても高く評価され、近年はインド政府公認のヨガマスターを取得するなど、多彩な才能を発揮している片岡氏のモチベーションの源泉に、アパグループの元谷専務が迫ります。
片岡 鶴太郎氏 Kataoka Tsurutaro
1954年、東京・西日暮里に生まれる。1972年、片岡鶴八師匠に入門。東宝名人会、浅草演芸場などで研鑽を積む。その後、テレビのバラエティ番組を通じて広く知られるようになり、俳優としても多方面で活躍。日本アカデミー賞最優秀助演男優賞をはじめ、数多くの賞を受賞する。1995年、東京にて初の絵画展「とんぼのように」を開催。2001年にはパリにて初の海外個展を開き、好評を博す。2015年、書の芥川賞と言われる「第十回手島右卿賞」を受賞。2025年放送のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』にて、妖怪絵師・鳥山石燕役を務める。同年、「第11回プラチナエイジスト賞」ファッション部門を受賞。2026年8月健康で美意識の高いイメージのある男性著名人を表彰する賞『第6回Men’s Beautyアワード』においてBeautyライフスタイル部門を受賞。2026年度上半期NHK連続テレビ小説『風、薫る』にて勝海舟役で出演。同年、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にて、狩野派の絵師・狩野永徳役で出演。10月2日(金)から放送のテレビ東京『晩酌の流儀5』秋冬編にて、ヨガの達人であり、自称「ウマエネルギー」という超人的な力を操る青果店「馬太郎」の店主・馬太郎役で出演中。芸人に始まり、俳優、画家、プロボクサー、そしてヨーギーとして、常に新たな表現の道を探求し続けている。
むちゃぶりをされるのは
期待されているからだ

元谷 本日はありがとうございます。片岡鶴太郎さんとは、もう何度もお会いさせていただいてます。最初は後楽園ホールでの井岡一翔選手のボクシングの試合を、リングサイドの第一列で一緒に観戦しました。血と汗が飛んでくる席でしたが、鶴太郎さんの解説付きで試合を見るのが、とても楽しかったと記憶しています。

片岡 今日はお招き、ありがとうございます。元谷さんとの出会いも、そんな思いがけないきっかけからでしたね。

元谷 その後、TOKYO FMの深夜一時からの「TOKYO SPEAKEASY」という番組で、対談もさせていただきました。鶴太郎さんは毎日夜の十一時に起床しますから、深夜一時は「朝」なんですよね。

片岡 その通りです。夜十一時に起きて、朝の五時までヨガをやっています。ヨガで精神も肉体も浄化して、最高のコンディションに持っていくのです。これを始めて十五年、一日も休んでいません。私に合っているというか、天にそのようにさせていただいているというか。また食事と運動で、体や顔の線も整えています。滑舌を良くするために口の筋肉を鍛えたり、発声練習をしたりも。毎日こういうルーティーンを怠らないようにしています。

元谷 そんな努力もあっての、鶴太郎さんの今の活躍ぶりだと思います。私が最初に鶴太郎さんをお見かけしたのはテレビのお笑い番組で、その後プロボクシングのライセンスを取られたり、俳優や画家として活躍されたり、ヨガを始められたり。様々な分野で輝きを放たれる、唯一無二の存在だと思っています。最初の頃は、「オレたちひょうきん族」で近藤真彦さんのものまねをされていましたね。

片岡 はい、最初にお茶の間の皆さんに私の存在を知っていただいたのは、「ひょうきん族」でのマッチのものまねだったと思います。二十六歳ぐらいだったでしょうか。「ひょうきん族」にはパロディっぽい企画が多く、当時大人気だった番組「ザ・ベストテン」をパロった「ひょうきんベストテン」というコーナーがありました。近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」がチャートで一位になったので、この「ひょうきんベストテン」で私にマッチのものまねをやって欲しいとの依頼がきました。しかしその時私は、マッチはやったことがありませんでした。日曜日に歌のテープを渡されて、水曜日に収録です。歌いながらセットを壊しまくって、その瓦礫の下敷きになる…というものだったのですが、放送したら反響が凄くて。結局このネタを十年やっていました。むちゃぶりでしたが、私が世に出るきっかけになりましたね。

元谷 今はむちゃぶりされても、反発するという風潮があるようですが…。

片岡 むちゃぶりはおいしいのです。できるできないは関係なく、とにかくやってみる。そこから「瓢箪から駒」ということがありますから。

元谷 私も著書に、むちゃぶりは期待の証で、自分の能力を広げてくれると書きました。

声帯模写の師匠から
芸人としての心得を学ぶ

元谷 そもそも鶴太郎さんは、声帯模写から芸能の世界に入ったとお聞きしています。

片岡 はい。私は高校を卒業してすぐに片岡鶴八師匠のところに弟子入りをしました。鶴八師匠は、「声色」という歌舞伎役者のものまねを得意とする声帯模写の芸人でした。師匠が言うには、「声色やものまねは、落語家のように口伝で教えられるものではない。私の声色のまねをしてもしょうがないので、お前は今の時代の人のものまねをしなきゃ。だから自分でネタを作ってこないと、稽古にならない」と。そこでネタを作って見せて、師匠にアドバイスをもらうのですが、入門して一ヶ月後には師匠の独演会の前座で初舞台を踏んでいました。

元谷 そういう形で師匠から学んだのですね。

片岡 他に教えていただいたのは、食事の仕方でした。師匠からまず「売れるまではお金がなく、食事に行ってもどなたかにご馳走になることが多い。その時には一番安いものを頼んで、可愛がられろ」と言われました。師匠は信州上田の出身でしたから蕎麦が好きで、私も蕎麦店によく連れて行っていただきました。最初にご一緒した時に、教えに従ってざる蕎麦を頼んだのですが、食べ方が汚いと言うのです。「芸人は物事をきれいにしなきゃいけない。蕎麦をつゆにどっぷりつけるのではなく、江戸のつゆは辛めだから、一センチつけるだけでいいんだ」と。そして最後にそば湯をそばちょこに入れて飲んで、味を締める。「これが本当の江戸っ子の蕎麦の食べ方だから」と言うのです。とにかく芸人は所作はもちろん、服装や顔もきれいにしなくてはいけないと教えられました。あと魚のきれいな食べ方も教えてくれて、その後一緒に魚を食べる時には、私が師匠の分の骨抜きもやっていました。今でも上手いですよ。

元谷 食を通じて、芸人の心構えを教えてくださったのですね。

片岡 そうなのです。落語家さんは別ですが、今ではお笑いの世界では師匠と弟子の関係がなくなって、養成所出身の芸人が多くなっています。私は師匠の弟子になって、しつけや芸を学べて良かったと、つくづく思っています。

元谷 そこで芸人の基礎を学んだからこそ、鶴太郎さんはここまで息長く活躍されているのかもしれませんね。

「全て逆張り」の作戦で
モンスター番組に挑戦!

片岡 「オレたちひょうきん族」のプロデューサーだった横澤彪さんに、「鶴ちゃんね、芸人は面積だよ」と言われたことがあります。時間を横軸に売れる度合いを縦軸にした場合、一瞬凄く売れてもグラフは三角形にしかなりません。そんなに売れなくても、長く売れ続ければ、グラフが囲う面積が増えていくのです。息の長いのが肝心であって、そのためには二番手、三番手でいるのも大事ということを、横澤さんに教えていただきました。

元谷 それは芸人に限らず、どの業界、職種にも当てはまることだと思います。

片岡 長く維持することで、次第に老舗になっていくのです。

元谷 その横澤さんが作った「ひょうきん族」ですが、土曜日の夜八時は「八時だョ! 全員集合」という強力なライバルがいましたね。

片岡 「全員集合」は番組全体の平均視聴率が二七・三%というモンスター番組で、他局の裏番組は何をやっても当たりませんでした。しかし横澤さんの番組「THE MANZAI」が火付け役となって漫才ブームが到来、爪痕だけでも残してくれと、横澤さんがこの土曜日八時の裏番組を担当することになりました。とにかく「全員集合」の逆をやろうということになり、生放送に対して収録、公開に対してスタジオ、子ども向けに対して大人向け、チームワークに対して個人といった具合でした。漫才コンビも全部個人にバラして出演させました。この方針があったから、漫才ブームから取り残されたピン芸人だった明石家さんまさんや山田邦子さん、そして私が頭角を現すことができたのです。

元谷 逆張り作戦だったのですね。

片岡 それぞれがピン芸人としていろいろなコーナーを担当、面白ければ続けるし、ウケなければすぐ止める。「全員集合」には台本がきちんとありましたが、「ひょうきん族」は台本から逸脱して、アドリブになることがしょっちゅうでした。

元谷 ビートたけしさんやさんまさんの暴走ぶりが面白かったです。

片岡 「全員集合」とは全く質が異なる、常に新しいことをやっていくという笑いに、だんだんターゲットの大人だけではなく子どもも興味を抱くようになり、視聴率が上がっていきました。最初は三ヶ月だけのはずだった「ひょうきん族」は、結局一九八一年から一九八九年までと、八年ちょっと続きました。

元谷 八〇年代の後半から鶴太郎さんは俳優業にも進出、プロボクシングのライセンスを取得したり、九〇年代からは画家としての活動を始めたり。私も鶴太郎さんの個展を見にいったことがあります。一番印象に残っているのは、「たたかれても ほされても 味を出す」という言葉が添えられたカツオの絵です。これは人間にも当てはまると思い、いい言葉だなと感じました。最初に描いたのは、花の絵だったでしょうか。

片岡 はい。絵を全く描いたことがなかったのですが、椿を見た時に「素敵な花だなぁ。自分を感動させるこの花を描けるようになったら、人生がより良いものになるんだろうなぁ」と思ったのです。そこで独学で絵を描き始めました。

元谷 鶴太郎さんの絵には独特の趣があり、それに心を動かされることが多いですね。

片岡 今となってみると、独学でやってきたことが良かったと。わからないことばかりで行き詰るのですが、それを自分で打破しなければならない。少し遠回りにはなりましたが、だからこそ自分らしい絵が描けるようになったと考えています。また絵を描くようになると、書家や画家の先生にお会いする機会が多くなりました。書家の方には墨や硯、紙のこと、画家の方には絵の具のことなど専門的なことを教えていただいて、それを自分の中に取り込むことができるようになっていきました。

人との出会いは
天からいただいたもの

元谷 様々なことに挑戦してきた鶴太郎さんですが、次の道に踏み出すモチベーションは何なのでしょうか。

片岡 計画性は全くなく、その時代時代で、やりたいと思うことをやってきただけなのです。何かふっと降りてきたものに、躊躇せずに着手するというのが私のやり方です。

元谷 俳優としての活動もずっと継続されていますが、オファーされた役柄に対して、どのような形で魂を込められているのでしょうか。

片岡 今放送されているNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」から出演のオファーがあったのですが、その役を見て、NHKは私・鶴太郎にこういうことを求めているのかと納得しました。昨年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、私は妖怪絵師の鳥山石燕という役を演じました。一般的にはあまり有名ではない絵師ですが、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさんが鳥山石燕を大尊敬していました。そして今年の大河ドラマで私が演じたのは、戦国時代の天才絵師と呼ばれた狩野派の狩野永徳という画家でした。絵師役は実際に絵を描いている人間が演じた方が、リアリティがあるとドラマスタッフは考えているのでしょう。絵をやっていて良かったと感じると同時に、大変ありがたいと思いました。

元谷 やりたいという衝動から始めた絵画が、その後の別の仕事に繋がってくる。世の中には、運や縁、恩など理屈や計画ではない要素がつくづく多いと感じます。

片岡 その通りですね。そしてやっぱり、人との出会いが一番大切です。出会いはお金では買えず、天からいただけるものですから。出会いに感謝して、何事にも対応できるよう、いつでも準備しておくことが大切だと思います。

元谷 私の父の元谷外志雄も、「幸運の女神は前髪しかない」とよく言っていました。前髪を掴まないと、チャンスはもうないという意味です。

片岡 その通りだと思います。そして元谷さんとの出会いも天からいただいたもの。これからも大切にしていきたいと思います。

元谷 こちらこそ、よろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

片岡 ありがとうございました。