当事者意識を持つことで、お客様に対応した高レベルのサービスが実現する
アパグループ 専務 元谷 拓
1960年大阪府生まれ。調理師専門学校卒業後、大手ホテル、焼鳥店勤務を経験。1985年、25歳のときに独立し「焼鳥屋 鳥貴族」を東大阪市内に創業。その後、株式会社イターナルサービス(現:株式会社エターナルホスピタリティグループ)を設立し、「焼鳥屋 鳥貴族」の日本国内チェーン展開を開始。2014年東証ジャスダックに株式上場、2016年には東証1部指定(2022年東証プライム市場へ移行)。2024年は社名を「エターナルホスピタリティグループ」に変更し、新たなビジョン「Global YAKITORI Family」を策定。「第二の創業」と位置付け、積極的な海外進出と事業領域の拡大を図っている。2025年現在世界1,150店舗以上を展開。
再現した「一号店」を開店
元谷 本日はグッドトークにご登場いただき、ありがとうございます。生き残りが厳しい飲食業界において、「鳥貴族」は若い人々や女性にも支持されて、しっかりと店舗数と業績を伸ばしています。今日はいろいろと勉強させていただければと思います。まず創業のきっかけは何だったのでしょうか。
大倉 お招きいただき、ありがとうございます。飲食業界との出会いは、高校二年生から二年間、飲食店でアルバイトをしたことです。これがすごく楽しかった。高校三年生の時には焼鳥を任され、お客様に「美味しいよ」と言っていただけるのがとても新鮮で、飲食の道に進むことを決意しました。高校を卒業後調理専門学校で一年間学び、ホテルのイタリア料理部門に勤務するようになりました。その頃家の近所に「やきとり大吉」が開業し、私も仕事帰りによく立ち寄っていて、店主と仲良くなりました。その店主が焼鳥店の一大チェーン展開を志して、大吉を辞めて独立、一緒にやろうと私を誘ってきたのです。洋食の道を志していたので、私は何度かお断りしたのですが、最後には「一大チェーンを作る」というその方の大きな夢に惹かれ、二十二歳の時にホテルを辞めて、焼鳥業界に入りました。社長の右腕というポジションで七店舗を展開したのですが、だんだん社長と経営方針が合わなくなり、二十五歳の時に独立して「鳥貴族」を創業しました。今からちょうど四十年前の一九八五年のことです。
元谷 方針が合わなくなっても、やはり狙ったのは大チェーン展開だったのですね。
大倉 はい。一号店創業の時から、全国チェーンを目指していました。
元谷 二〇二五年には創業から四十周年ということで、一号店が復活しました。
大倉 一号店の俊徳店(東大阪市)は駅前再開発の影響で二〇〇八年に閉店していたのですが、息子(SUPER EIGHTの大倉忠義氏)の提案もあり、二〇二五年五月一日に当時の姿を忠実に再現した形で復活しました。二階は「鳥貴族記念館」(予約制)となっていて、これまでの歩みや私の愛読書等が展示されています。
元谷 俊徳店復活のセレモニーで、大倉さんが忠義さんと並んでテープカットをしている姿が、メディアでかなり報道されました。
大倉 息子のおかげで、大変良い宣伝になりました。
生の鶏肉を店舗で串打ち
元谷 私も何度か利用させていただいているのですが、「鳥貴族」の一番の特徴は、メニューの価格が統一されていて、非常にコスパが良いことです。
大倉 今は全メニュー税込三百九十円均一です。創業時は二百五十円で、二百八十円の時代が長かったですね。
元谷 注文から提供まで三十分ぐらいかかるのですが「とり釜飯」が美味しくて、私はいつも〆にいただいています。
大倉 ちゃんと一人前ずつ固形燃料で炊いていますから、少々お時間がかかるのです。
元谷 商品開発に関して、大倉さんが一番こだわっているポイントは何でしょうか。
大倉 焼鳥専門店というイメージを崩さないように、魚介類や牛肉、豚肉のメニューを増やさないことが大きな方針です。ただそれ以外のメニュー開発はもう社員に任せていて、私は一切タッチせず、試食もしません。「鳥貴族」のメインのお客様は二十代から三十代で、六十代の私とは味覚のズレがありますから。
元谷 なるほど。大倉さん的に思い入れのあるメニューは何でしょうか。
大倉 現在のグランドメニューのほとんどは、私が考えたものです。焼鳥に関しては価格、味、ボリュームという総合的な評価で、どの焼鳥店にも負けない自信があります。中でも名物の「もも貴族焼」「むね貴族焼」はぜひ味わっていただきたい。塩味が通なのですが、私がレシピを考案した「たれ」は、フレッシュな野菜や果物を使用し、一切保存料を使わずに作っている自信作。たれ味もぜひご賞味いただきたいと思います。肉の美味しさだけで言えば、「せせり」と「手羽先塩」、「ハート(ハツ)塩」でしょうか。「せせり」は鶏の首の部分の肉のことです。とにかく、動くところは美味しいですね。
元谷 焼鳥には絶対の自信があるということですが、その理由は何でしょうか。
大倉 美味しい焼鳥の提供方法を忠実に守っているからです。「鳥貴族」では冷凍ではない生の鶏肉を九割以上使用し、それを各店舗で串打ちしています。つまり、個人経営の焼鳥店舗と同じことをしているのです。これは「集中化」「標準化」を徹底するチェーンストア理論には反することなのですが、お客様に口に入る少しでも直前に、新鮮な肉を串打ちした方が美味しいからなのです。私はここに「鳥貴族」の優位性があると考えています。チェーン店だから、どうせ海外で串打ちされ冷凍された食材を焼いているのだろうというお客様のイメージを、創業以来払拭することに努めてきました。生の肉を店で串打ちすることはお客様第一からの発想なのですが、社員やスタッフにとっても店に誇りを持つことができる大事な要素なのです。このようなことも含め、社員とスタッフには「鳥貴族愛」を持ってもらうことに、会社として力を入れています。自分の店が好きでなければ、お客様に対しても素晴らしいお迎えができないと考えているからです。
元谷 その人材について、大倉さんは伸びる人、伸びない人の違いをどのように見極めていますか。
大倉 「自分ごと」で仕事ができる人は伸びます。全てが自分ごとだと、どんどん自分でイメージを働かせて、業務を進めていきますから。またそんな人は、責任もしっかりと取ります。しかし「指示待ち」で、言われたことを着実に行うことが好きな人が多いのが現実です。
「お通しの廃止」を実行
元谷 そもそも「鳥貴族」というネーミングは、どこから発想したものなのでしょうか。
大倉 創業時には「やきとり大吉」が大阪を中心に、二~三百店舗展開していました。そこで「やきとり大吉」とは異なる顧客層をターゲットにしようと考えたのです。他の焼鳥店同様、「やきとり大吉」も中高年男性をターゲットにしていました。私は新しい市場を開拓したいと考え、若い層、その中でも特に女性に喜んでいただけるチェーンにしようと思ったのです。そこで名前もいかにも焼鳥店というものではなく、少しおしゃれなものを…と意識していたら、「貴族」という言葉が降りてきました。お客様を貴族扱いするという意味でもウケると考え、鳥を付けて「鳥貴族」にしたのです。今までにない焼鳥店を目指していましたから、スタッフの制服もよくある法被や作務衣ではなく、Tシャツにしました。またメニューでは、サラダを充実させたり、若い人はやはりボリュームを求めますから、鳥肉のポーションを大きめにしたりと、工夫をしました。さらに「誠実な経営」から発想したのが、お通しの廃止です。私は若い頃、勝手に出てくるお通しを店からのサービスだと思っていたのです。しかしレシートを見ると、勘定に入っている。出すなら聞くべきだと考え、「鳥貴族」ではお通しを止めました。以前英会話教室の近くに出した店舗に、外国人講師の方が頻繁にいらっしゃることがありました。理由を聞くと明朗会計がいいというのです。不明瞭な席代やお通し代がないし、個人別のお会計も可能ですから。
元谷 焼鳥をはじめとした料理が安くて美味しく、店舗の居心地が良いのが「鳥貴族」人気の理由だと思います。この居心地はどのように醸成されてきたのでしょうか。
大倉 やはりお客様の立場になって考えることでしょうか。まだ飲食業界の経験が浅かった時にはお客様視線になりやすく、その頃感じたことを「お通しの廃止」のように実践していきました。逆に業界の経験が長くなると、プロ視線になってお客様視線が失われてしまいます。ですから、「鳥貴族」は創業時のお客様視線で定めたコンセプトが、今でも息づいています。例えば、テーブル席の仕切りもしっかりと入れて、半個室感を演出しています。欧米のレストランでは、区切りなく空間全部を見せることが好まれますが、日本人は視界を遮られる方を好むのです。
一気に店舗展開が進む
元谷 業績も好調で順調に成長している「鳥貴族」ですが、創業から四十年でずっと順風満帆という企業はありません。アパグループもバブル崩壊や耐震偽装問題、リーマンショック等を乗り越えて、今があります。大倉さんも、これまでいろいろな問題を乗り越えてこられたのではと思うのですが。
大倉 まず最初の危機は一年目に来ました。当初は全品均一価格ではなかったのですが、創業して五カ月目から赤字になり、毎日倒産がちらついているような状況でした。しかし、創業から一年後に全品を均一価格にすることで、この状況を打破することができました。当時は「百均」もなかった時代ですから、均一価格を多くのお客様が珍しがり、かつ好意的に受け止めていただけたのです。最初の成長へのターニングポイントは、バブルの崩壊です。バブル時代は店舗の賃貸料が非常に高く、「鳥貴族」のビジネスモデルに合いませんでした。バブルが弾けたおかげで、私の感覚では店舗の保証金が五分の一、賃料が二分の一になったのです。これで出店ペースに加速がつきました。次のターニングポイントは、二〇〇三年の道頓堀店の開店と成功です。
元谷 道頓堀店は、何がそれまでの店舗と異なったのでしょうか。
大倉 それまでは一階の路面店しか考えていなかったのですが、道頓堀店はビルの三階の俗に言う「空中階」の店舗で、「鳥貴族」では初めてでした。これが集客に成功したのです。一階は当然賃料が高いのですが空中階は安く済み、「鳥貴族」の出店条件に合致する場所が一気に増えます。創業から十八年目に出した道頓堀店は三十八店舗目だったのですが、その後の十八年間では六百店舗を出店することができました。空中階出店が、この出店ラッシュを可能にしてくれたのです。
元谷 アパホテルも大変だったのですが、コロナ禍は「鳥貴族」にとっても、大きな試練だったのではないでしょうか。
大倉 二〇二〇年四月に政府が緊急事態宣言を発令すると知った時に、緊急取締役会を開催しました。店舗や会社よりも人命第一なので、全店休業にすると役員全員の賛成で決めたのです。しかし休業するとなると、社員・スタッフには不安が生じます。そこで給与も賞与も一〇〇%支給すると決めたのです。当時は私の考えも少し甘く、コロナ禍は二、三カ月で収束するだろうと考えていたのですが、実際にはもっと長引き、二〇二〇年末には再び倒産という文字が頭をちらつきましたね。これが続いたらもう持たないと思っていたところに、二〇二一年から外食産業の企業に対する国や自治体からの助成金や給付金が充実するようになり、生き延びることができました。
元谷 最後に仕事に関して、今の二十代、三十代の若い方に伝えたい想いを教えてもらえますでしょうか。
大倉 社内でもよく言っているのですが、挑戦するリスクよりも挑戦しないリスクの方が大きい。だから人生、挑戦をしましょうということです。
元谷 私もおっしゃる通りだと思います。今日は貴重なお話をありがとうございました。
大倉 ありがとうございました。