恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。元銀行員で国際金融の専門家でありながら、真の歴史を世界に発信する活動を続ける大阪市立大学名誉教授の山下英次氏、樋口季一郎中将の孫にあたる音楽学者で明治学院大学名誉教授の樋口隆一氏、商社マンだったのが三島由紀夫の自決をきっかけに自衛官となり、経理将校として活躍した英霊の名誉を守り顕彰する会会長の佐藤和夫氏、美術史の大家でありながら、埴輪から日本へのユダヤ人渡来を研究する東北大学名誉教授の田中英道氏、インテリジェンスに関する著作を多く発表している産経新聞東京本社論説委員の岡部伸氏をお迎えし、旧日本軍人の質の高さやユダヤ人渡来等について、語り合いました。
樋口季一郎の銅像計画が
今着々と進んでいる
今着々と進んでいる
一般社団法人「樋口季一郎中将顕彰会」が、孫の樋口隆一氏を会長理事として発足した。樋口季一郎は一九三八年三月、ドイツから逃れ、ソ連と満州の国境沿いの街・オトポールで立ち往生していたユダヤ人難民に食料や衣料等を手配、満州を鉄道で通過させ上海に脱出させた(オトポール事件)。この脱出経路は「ヒグチ・ルート」としてユダヤ社会に知られるようになり、一説には二万人のユダヤ人がこれを経て脱出したと言われている。また、樋口は一九四二年に北海道の第五方面軍司令官となり、一九四五年八月九日に日本に宣戦布告したソ連に対抗、大本営の停戦命令を無視して占守島に侵攻したソ連軍に最後まで抵抗して、スターリンの北海道侵攻の野望を挫いた。終戦後、樋口は連合国の一員であるソ連が日本に不法な侵攻を行ったことで、「仕切りが悪い」と連合軍最高司令官のマッカーサーを叱り飛ばしたという。著名なアメリカの戦略研究者のエドワード・ルトワック氏は、あの時ソ連に北海道と東北を侵攻されていれば、今の「自由で開かれたインド太平洋」などあり得なかった。この戦略の観点から、樋口は偉業を成し遂げたと賞賛している。
元々樋口はロシア語が堪能な、対ソ連の情報将校だった。だから、陸軍大学校を出た直後にウラジオストクに赴任している。一九二五年には駐在武官としてポーランドに赴任。ロシア語とドイツ語が堪能な樋口は、社交界の「公用語」であるフランス語はあまり得意ではなかった。そのためにオペラ劇場のバレエ監督に弟子入りして特訓、ワルツの名手として社交界にデビューしたという。それは社交界で、他国の駐在武官や外交官らから情報を取るためだった。
顕彰会では、この日本に多大な貢献をした樋口季一郎の銅像を、故郷の淡路島等に建立する募金計画を進めている。日本財団と外務省が運営する日本情報多言語発信サイト「nippon.com」に、岡部伸氏が樋口と顕彰会の記事(六月二十八日付)を書いたところ、七月十六日時点で千件以上の「いいね!」が付いた。産経新聞にもこの銅像のための寄付を募っている旨の記事が掲載され、既に日本全国から寄付が集まっている。先の大戦において、日本のために尽くした軍人が忘れられていくことに憤りを感じている人は、全国にいる。この顕彰会によって、そんな人々が集うフォーラムが形成され始めている。
顕彰会を立ち上げるにあたって、自衛隊の元統幕議長の参加もお願いした。現役の自衛隊幹部は旧軍との関係が一切ないふりをしなければならないが、会ってみると旧軍にシンパシーを抱いている人が多い。かつては「税金泥棒」や「同世代の恥」と呼ばれた自衛官だが、今はすっかり事情が変化している。敗戦国であるイタリアもドイツも、戦後すぐに軍隊を再編成して、今やNATO軍の重要な構成員となっている。もちろん核の保有は認められていないが、ニュークリア・シェアリングでそれを補っている。どの国もまず自国は自分達の力で守るものであって、軍隊のない一等国などあり得ない。日本も軍事力を強化する必要がある。特に注力すべきは、海に囲まれているメリットをフルに活かすことができる、世界の他の国がまだ保有していない深深度潜水艦と深深度魚雷の充実ではないだろうか。
元々樋口はロシア語が堪能な、対ソ連の情報将校だった。だから、陸軍大学校を出た直後にウラジオストクに赴任している。一九二五年には駐在武官としてポーランドに赴任。ロシア語とドイツ語が堪能な樋口は、社交界の「公用語」であるフランス語はあまり得意ではなかった。そのためにオペラ劇場のバレエ監督に弟子入りして特訓、ワルツの名手として社交界にデビューしたという。それは社交界で、他国の駐在武官や外交官らから情報を取るためだった。
顕彰会では、この日本に多大な貢献をした樋口季一郎の銅像を、故郷の淡路島等に建立する募金計画を進めている。日本財団と外務省が運営する日本情報多言語発信サイト「nippon.com」に、岡部伸氏が樋口と顕彰会の記事(六月二十八日付)を書いたところ、七月十六日時点で千件以上の「いいね!」が付いた。産経新聞にもこの銅像のための寄付を募っている旨の記事が掲載され、既に日本全国から寄付が集まっている。先の大戦において、日本のために尽くした軍人が忘れられていくことに憤りを感じている人は、全国にいる。この顕彰会によって、そんな人々が集うフォーラムが形成され始めている。
顕彰会を立ち上げるにあたって、自衛隊の元統幕議長の参加もお願いした。現役の自衛隊幹部は旧軍との関係が一切ないふりをしなければならないが、会ってみると旧軍にシンパシーを抱いている人が多い。かつては「税金泥棒」や「同世代の恥」と呼ばれた自衛官だが、今はすっかり事情が変化している。敗戦国であるイタリアもドイツも、戦後すぐに軍隊を再編成して、今やNATO軍の重要な構成員となっている。もちろん核の保有は認められていないが、ニュークリア・シェアリングでそれを補っている。どの国もまず自国は自分達の力で守るものであって、軍隊のない一等国などあり得ない。日本も軍事力を強化する必要がある。特に注力すべきは、海に囲まれているメリットをフルに活かすことができる、世界の他の国がまだ保有していない深深度潜水艦と深深度魚雷の充実ではないだろうか。
古代日本には
多くのユダヤ人が渡来した
多くのユダヤ人が渡来した
千葉県芝山町には、六世紀頃に作られたとされる数多くの古墳が存在しているが、ここから出土する埴輪の形が特殊だ。丸いひさしのついた背の高い帽子、髪を左右に分けて毛先を耳の辺で束ねる美豆良という髪型、長いあごひげ等、これらの埴輪の特徴は、ユダヤ人の特徴とぴったり一致する。従来の歴史研究者は文書のみを研究対象にしていて、埴輪の形を考察することはなかったから、気づかなかったのだ。また日本人男性の持つ「YAP」と呼ばれる特殊な遺伝子配列は、韓国人にも中国人にも存在しないが、ユダヤ人の二〇〜三〇%が持っている。古代日本史において渡来人と言えば、朝鮮半島や中国から渡ってきた人を指していたが、そこにはユダヤ人も数多く混じっていたと田中英道氏は考えている。京都に太秦という地名があるが、ここは帰化氏族・秦氏の本拠地であり、この秦氏がユダヤ人だった。彼らは土木技術や養蚕、絹織物技術を日本に伝えた。平安時代の日本は移民大国で、国民の三分の一が帰化人だったとも言われる。日本が気に入ったユダヤ人達は、ユダヤ教を捨て、次第に日本と同化していった。そのため、ヘブライ語と日本語には、三千語ぐらい似た単語がある。
対中国・対ロシアで
新・日英同盟実現か
新・日英同盟実現か
日本では今、GHQの洗脳が解けている人は一〇%ぐらいしかいない。もっと多くの国民が解けないと、日本は独立国になれない。ドイツでは戦前、戦中のメディアは全て解体されて、今あるのは戦後設立されたメディアばかりだが、日本の大手メディアは全て生き残り、GHQの洗脳の片棒を担いだ。その最初のきっかけとなったのが、一九四五年九月にGHQが朝日新聞に出した、二日間の業務停止命令だ。これは鳩山一郎の「原爆投下等は国際法違反の戦争犯罪だ」という談話を九月十日に掲載したことに対する処分だった。以後、当初GHQは五大新聞の事前検閲を求め、各社はGHQ傘下のCCD(民間検閲支隊)による早刷りの検閲を受け、これを基に印刷を行った。そして次第に自主検閲で、先に自ら表現を制限するようになり、GHQの共犯者に成り下がった。しかし新聞各社でこのGHQの言論統制を認めているのは、一九九七年三月三〇日付の読売新聞の社説「憲法施行五◯年 言論管理下の“戦後民主主義”」以外にはない。まずこの検閲の事実を認めることから始めるべきではないか。産経新聞には既にその動きがある。次は読売新聞が再び認めることだろう。そして本丸は、NHKと朝日新聞がGHQの検閲を認めて懺悔をすることだ。特に産経新聞は、戦前の大新聞である福沢諭吉が創刊した「時事新報」の流れを汲む。産経新聞がGHQの検閲を告白できなければ、明治期の独立思想のチャンピオン的存在である福沢諭吉に顔向けできないのではないか。
イギリスのメイ前首相が一番頼ったのは安倍前首相だ。二〇一八年のG二〇ブエノスアイレス・サミットの際、メイ前首相は「シンゾー・アベとの会談が目的」と明言していた。ブレグジットを、G七の中で日本がいち早く支持したからだ。この流れは今も続いていて、イギリスは凄い勢いで日本に接近してきている。TPPへ加入しようとしたり、最新鋭空母、クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群を日本に寄港させようとしたりしている。またイギリスは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドから成る情報共有同盟「ファイブアイズ」に、日本を入れようとしている。百年前には対ロシアで日英同盟が結ばれたが、今は対中国で新・日英同盟の方向に向かっているのではないだろうか。
イギリスのメイ前首相が一番頼ったのは安倍前首相だ。二〇一八年のG二〇ブエノスアイレス・サミットの際、メイ前首相は「シンゾー・アベとの会談が目的」と明言していた。ブレグジットを、G七の中で日本がいち早く支持したからだ。この流れは今も続いていて、イギリスは凄い勢いで日本に接近してきている。TPPへ加入しようとしたり、最新鋭空母、クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群を日本に寄港させようとしたりしている。またイギリスは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドから成る情報共有同盟「ファイブアイズ」に、日本を入れようとしている。百年前には対ロシアで日英同盟が結ばれたが、今は対中国で新・日英同盟の方向に向かっているのではないだろうか。
樋口らのユダヤ人救出は
国益を考えた明確な意志
国益を考えた明確な意志
先の大戦における日本のインテリジェンスは、巷間言われているよりも遥かに優秀だった。岡部伸氏は二〇〇〇年、モスクワでロシア人から北方領土問題は日本人自身が作った問題だと言われ、帰国後調査を開始。スウェーデンのストックホルムで諜報活動を行っていた陸軍駐在武官である小野寺信が、一九四五年二月のヤルタ会談におけるソ連の対日参戦の密約内容をユダヤ系情報網を通じてキャッチ、日本に打電したのだが、当時の日本陸軍の中枢はそれを握りつぶしたことが判明した。それを『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書)として上梓したのだが、この本は山本七平賞を受賞、二〇一六年にはNHKのドラマになり、香川照之が小野寺信を演じた。小野寺らは、反ソ連であるポーランドやバルト三国等の人々と連携して、丹念に情報を収集していたのだ。
岡部氏は、七十歳を越えた大学教授であるチャンドラ・ボースの娘にもインタビューをした。日本のF機関とその長である中野学校の教官も務めた藤原岩市は、本気でアジアの諸民族の開放を考えていた。この藤原とチャンドラ・ボースは、インパール作戦では共に最前線を訪れている。これはボースが日本の傀儡などではなく、インド独立のために日本とインドが本気で手を取り合って戦っていたことの証だろう。
樋口季一郎はポーランドの駐在武官の第一号だった。彼はポーランドからソ連の暗号解読技術を手に入れ、陸士同期の百武晴吉と共に解読研究を行い大きな成果を上げた。一九四一年にドイツの保安警察が作成した報告書には、日本の対ソ連諜報の長は小野寺信で、その補佐が杉原千畝と書かれている。杉原は外交官だったが、ポーランドのインテリジェンスと通じて諜報活動も行っていたのだ。樋口や小野寺、そして杉原ら優れたインテリジェントオフィサーはヒューマニストであると同時に、日本の国益も重視した。ここでドイツと一緒にユダヤ人迫害を行っては、日本国に傷がつくという強い信念があったのではないか。それが樋口の「ヒグチ・ルート」や杉原の「命のビザ」に繋がったのだろう。
小野寺のヤルタ情報は、果たして全く役に立たなかったのか。岡部氏はこの情報が樋口に伝わっていたのではないかと見ている。ソ連の意図を明確に掴んでいなければ、玉音放送で天皇の御聖断を聞いた後、ソ連の撃退命令は出せなかったのではないか。岡部氏は樋口、小野寺、藤原の三題噺で、日本陸軍のインテリジェンスの素晴らしさを描いた本を今後出版する予定だ。
岡部氏は、七十歳を越えた大学教授であるチャンドラ・ボースの娘にもインタビューをした。日本のF機関とその長である中野学校の教官も務めた藤原岩市は、本気でアジアの諸民族の開放を考えていた。この藤原とチャンドラ・ボースは、インパール作戦では共に最前線を訪れている。これはボースが日本の傀儡などではなく、インド独立のために日本とインドが本気で手を取り合って戦っていたことの証だろう。
樋口季一郎はポーランドの駐在武官の第一号だった。彼はポーランドからソ連の暗号解読技術を手に入れ、陸士同期の百武晴吉と共に解読研究を行い大きな成果を上げた。一九四一年にドイツの保安警察が作成した報告書には、日本の対ソ連諜報の長は小野寺信で、その補佐が杉原千畝と書かれている。杉原は外交官だったが、ポーランドのインテリジェンスと通じて諜報活動も行っていたのだ。樋口や小野寺、そして杉原ら優れたインテリジェントオフィサーはヒューマニストであると同時に、日本の国益も重視した。ここでドイツと一緒にユダヤ人迫害を行っては、日本国に傷がつくという強い信念があったのではないか。それが樋口の「ヒグチ・ルート」や杉原の「命のビザ」に繋がったのだろう。
小野寺のヤルタ情報は、果たして全く役に立たなかったのか。岡部氏はこの情報が樋口に伝わっていたのではないかと見ている。ソ連の意図を明確に掴んでいなければ、玉音放送で天皇の御聖断を聞いた後、ソ連の撃退命令は出せなかったのではないか。岡部氏は樋口、小野寺、藤原の三題噺で、日本陸軍のインテリジェンスの素晴らしさを描いた本を今後出版する予定だ。