二〇二○年十一月十一日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。お酒好きが高じて利酒師の資格も持つ東京国際大学学長の塩澤修平氏、学生演劇から入った俳優の世界で三十五年間活躍を続け、日本のワインを愛する会の会長も務める辰巳琢郎氏、国際通貨システムを専門としながら歴史問題での活動も行う国際歴史論戦研究所(iRICH)所長の山下英次氏、音楽学者でありながら指揮者として音楽活動も行う明治学院大学名誉教授の樋口隆一氏、海上自衛隊でヘリコプターによる掃海任務を行っていた地方再生支援機構株式会社代表取締役社長の神山清明氏をお招きし、歴史から文化に至るまで、様々な話題に花が咲きました。
京都御所が無防備なのは
日本が文明的な証だ
日本が文明的な証だ
アメリカ大統領選挙は民主党のバイデン氏勝利となったが、トランプ大統領は選挙結果を認めず、法廷闘争に持ち込んでいる。これだけ粘るのは、今回の選挙で七千万票を獲得したことに自信を深め、次回の選挙で復活を図るつもりなのではないか。バイデン氏が大統領になったとしても、七十七歳という年齢から再選は難しいという声も大きい。トランプ大統領が以前から不正の温床だと指摘していた郵便投票だが、ルールが州毎に異なるなど日本人には少し感覚的に理解できないところがある。そもそも選挙で不正があるなどは、日本人はあまり考えたことがないだろう。共和党のトランプ大統領の方が日本にとっては良いのだが、このままバイデン氏が大統領になるのか、はたまたトランプ大統領が逆転勝利を得るのか、来年一月二十日の就任式までには決着するはずだ。
大統領選挙を見ても、アメリカ社会はとにかく勝てばいいという風潮が強く、基本的には力の世界で礼儀作法がなく、文明的とは言えない。しかし日本では力だけが物を言うわけではない。代々天皇の住まいだった京都御所の塀は低く、堀はない。これだけ無防備だったのは、天皇を暗殺しようと思うものなどいなかったからだ。それだけ日本の民族としての同一性が強く、民族対立や宗教対立が苛烈だったヨーロッパとは異なるということなのだろう。
東日本大震災の時に救援物資を空輸したアメリカ軍のヘリコプターには、群衆が物資に殺到した場合には発砲してもよいという命令が下されていた。しかし実際に着陸すると来たのは老人のみ。彼に物資を持ってきたことを伝えると、老人の指示で若い人が多数現れて、物資の運搬を始めた。緊急時には力のある若者に地域が支配されると考えていたアメリカ人は、老人が統括していることに非常に驚いたという。東日本大震災の時には他にも年老いた人が若者に少ない食べ物を譲ったり、配給のときにはしっかり列を作ったりと欧米とは異なり略奪等全く起こらなかった。これだけを見ても、日本人は素晴らしい民族だと言える。
大統領選挙を見ても、アメリカ社会はとにかく勝てばいいという風潮が強く、基本的には力の世界で礼儀作法がなく、文明的とは言えない。しかし日本では力だけが物を言うわけではない。代々天皇の住まいだった京都御所の塀は低く、堀はない。これだけ無防備だったのは、天皇を暗殺しようと思うものなどいなかったからだ。それだけ日本の民族としての同一性が強く、民族対立や宗教対立が苛烈だったヨーロッパとは異なるということなのだろう。
東日本大震災の時に救援物資を空輸したアメリカ軍のヘリコプターには、群衆が物資に殺到した場合には発砲してもよいという命令が下されていた。しかし実際に着陸すると来たのは老人のみ。彼に物資を持ってきたことを伝えると、老人の指示で若い人が多数現れて、物資の運搬を始めた。緊急時には力のある若者に地域が支配されると考えていたアメリカ人は、老人が統括していることに非常に驚いたという。東日本大震災の時には他にも年老いた人が若者に少ない食べ物を譲ったり、配給のときにはしっかり列を作ったりと欧米とは異なり略奪等全く起こらなかった。これだけを見ても、日本人は素晴らしい民族だと言える。
機雷を処理する「掃海」は
昔も今も日本のお家芸
昔も今も日本のお家芸
海上の機雷を処理する「掃海」は旧海軍から日本が得意とする分野であり、今でも世界一の技術を持っている。湾岸戦争の時にはアメリカからの要請を受けて、ペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊が派遣されたほどだ。掃海艇は磁気機雷に対応するため、かつては木造で外見は漁船のようだったが、中には最新の設備が詰まっていた。現在は木造に代わってFRPのものが登場している。日本人の掃海技術が高いのは、繊細な神経を要する業務だからと言われている。
日本の艦船の海外派遣というと思い出されるのは、第一次世界大戦時、日英同盟に基づいて輸送船団護衛のために派遣された第二特務艦隊のことだ。この艦隊は船団輸送維持に多大な貢献をし、それが認められ日本の国際的な地位向上に繋がった。この作戦で亡くなった七十三人の将兵はマルタ島のイギリス海軍基地にある旧日本海軍戦没者墓地に葬られている。
石川県の小松空港は防衛省が管理する軍民共用飛行場だ。小松基地金沢友の会会長の代表は、F‐15ジェット戦闘機に搭乗、7・5Gを体験したことがある。どんどんとGがかかってきてパイロットが大丈夫ですかと聞くから「もっとやれ」と答えると、「これが限界です」と言われた。ヘリコプターは有翼の飛行機よりも不安定に見えるが、多少木にぶつかっても落ちることはない。エンジンが停止しても、竹とんぼのようにプロペラを回転させながら地上に降りてくることができ、これができないとライセンスがもらえない。
アメリカ軍で士官になるには、大きく分けて三つのルートがある。一つ目が士官学校を卒業することだ。陸軍の場合はウェストポイント、海軍と海兵隊はアナポリス、空軍はコロラドスプリングスに各士官学校がある。二つ目はROTC(Reserve Officers’ Training Course 予備役将校教育課程)と呼ばれる州立大学や私立大学に設置された課程を終了し、大学を卒業すること。このように一般の大学に軍事教育課程が設けられているのは、アメリカの大きな特徴だ。三つ目は軍に入隊し、OCS(Officer Candidate School 将校候補生学校)に入校して課程を修了することだ。映画「愛と青春の旅だち」では主人公は一般大学を卒業後、AOCS(Aviation Officer Candidate School)というパイロット専門の将校候補生学校に入学する設定になっていた。
日本の艦船の海外派遣というと思い出されるのは、第一次世界大戦時、日英同盟に基づいて輸送船団護衛のために派遣された第二特務艦隊のことだ。この艦隊は船団輸送維持に多大な貢献をし、それが認められ日本の国際的な地位向上に繋がった。この作戦で亡くなった七十三人の将兵はマルタ島のイギリス海軍基地にある旧日本海軍戦没者墓地に葬られている。
石川県の小松空港は防衛省が管理する軍民共用飛行場だ。小松基地金沢友の会会長の代表は、F‐15ジェット戦闘機に搭乗、7・5Gを体験したことがある。どんどんとGがかかってきてパイロットが大丈夫ですかと聞くから「もっとやれ」と答えると、「これが限界です」と言われた。ヘリコプターは有翼の飛行機よりも不安定に見えるが、多少木にぶつかっても落ちることはない。エンジンが停止しても、竹とんぼのようにプロペラを回転させながら地上に降りてくることができ、これができないとライセンスがもらえない。
アメリカ軍で士官になるには、大きく分けて三つのルートがある。一つ目が士官学校を卒業することだ。陸軍の場合はウェストポイント、海軍と海兵隊はアナポリス、空軍はコロラドスプリングスに各士官学校がある。二つ目はROTC(Reserve Officers’ Training Course 予備役将校教育課程)と呼ばれる州立大学や私立大学に設置された課程を終了し、大学を卒業すること。このように一般の大学に軍事教育課程が設けられているのは、アメリカの大きな特徴だ。三つ目は軍に入隊し、OCS(Officer Candidate School 将校候補生学校)に入校して課程を修了することだ。映画「愛と青春の旅だち」では主人公は一般大学を卒業後、AOCS(Aviation Officer Candidate School)というパイロット専門の将校候補生学校に入学する設定になっていた。
欧米文化を学んだ軍人は
戦時僻地へと追いやられた
戦時僻地へと追いやられた
「日本のワインを愛する会」とは、二〇一八年「日本ワインを愛する会」の副会長だった辰巳琢郎氏が会長に就任する際、一旦解散して新しい組織を立ち上げることを決意、考え抜いて決めた名称だ。今、日本のワインは素晴らしく美味しくなっている。さらにこの年は、国産のブドウのみを原料として日本国内で製造されたワインに限り「日本ワイン」と表示できるようになった「日本ワイン元年」だ。日本ワインをさらに大きなムーブメントとすべく、日本ワインファンが気軽に集えるプラットフォームになる。さらにワインだけではなく日本の食文化や農業、ひいては食料安保まで見据えた活動を展開することが、「日本のワインを愛する会」の目指すところだ。
樋口隆一氏の祖父・樋口季一郎は、大日本帝国陸軍の軍人だった。一九三八年、陸軍少将として満州国に赴任していた時に、ドイツから逃れてきた多くのユダヤ人を満洲国経由で上海へ逃した「ヒグチ・ルート」を構築したことで知られている。また一九四二年には札幌に司令部を置く北部軍司令官として着任、一九四三年のアッツ島玉砕、キスカ島撤退を指揮した。また一九四五年の終戦直前に侵攻を開始したソ連に対する占守島や樺太での戦闘を指揮、北海道や東北がソ連に占領されて日本が分割されてしまうことを阻止した。
二十四歳までこの樋口季一郎と同居をしていた樋口隆一氏は、数多く残っていた季一郎の遺稿を整理、「陸軍中将 樋口季一郎の遺訓¦ユダヤ難民と北海道を救った将軍」(勉誠出版)として今年出版。読売新聞が大きく取り上げる等、多方面で話題になった。ロシア語とドイツ語が堪能だった季一郎は、一九二五年、少佐の時に駐在武官としてポーランドのワルシャワに赴任した。当時は社交界で優雅に会話とお酒を楽しむのは駐在武官の仕事の一つだったが、ワルシャワの社交界は季一郎が話せないフランス語だった。そこでオペラ劇場のバレエ監督に弟子入りして特訓、ダンスの名手となって社交界でデビュー、多くの女性に人気を博した。この噂は東京まで伝わり、心配した季一郎の妻(隆一氏の祖母)は子供を姑に預けて、ワルシャワに向かったという。季一郎は隆一氏に「車は後部座席に乗るもの」と嘯いていたが、ワルシャワ時代にはフィアットのクーペに乗っていた。その血を受け継いだ隆一氏は、今ポルシェのケイマンSに乗っている。
季一郎と同時期に、旧加賀藩主前田本家の十六代目当主で侯爵だった前田利為はロンドンの駐在武官を、山下泰文はウィーンの駐在武官をしていた。こういった欧米文化を吸収した文化的な軍人は戦争中僻地に追いやられ、前田利為は一九四二年ボルネオ守備軍司令官となるが、その年に乗機が墜落して亡くなっている。山下泰文はマレー作戦の成功で「マレーの虎」と評価を高めるが、フィリピンで降伏、戦犯としてマニラで軍事裁判にかけられ死刑判決を受け、一九四六年に処刑された。
樋口隆一氏の祖父・樋口季一郎は、大日本帝国陸軍の軍人だった。一九三八年、陸軍少将として満州国に赴任していた時に、ドイツから逃れてきた多くのユダヤ人を満洲国経由で上海へ逃した「ヒグチ・ルート」を構築したことで知られている。また一九四二年には札幌に司令部を置く北部軍司令官として着任、一九四三年のアッツ島玉砕、キスカ島撤退を指揮した。また一九四五年の終戦直前に侵攻を開始したソ連に対する占守島や樺太での戦闘を指揮、北海道や東北がソ連に占領されて日本が分割されてしまうことを阻止した。
二十四歳までこの樋口季一郎と同居をしていた樋口隆一氏は、数多く残っていた季一郎の遺稿を整理、「陸軍中将 樋口季一郎の遺訓¦ユダヤ難民と北海道を救った将軍」(勉誠出版)として今年出版。読売新聞が大きく取り上げる等、多方面で話題になった。ロシア語とドイツ語が堪能だった季一郎は、一九二五年、少佐の時に駐在武官としてポーランドのワルシャワに赴任した。当時は社交界で優雅に会話とお酒を楽しむのは駐在武官の仕事の一つだったが、ワルシャワの社交界は季一郎が話せないフランス語だった。そこでオペラ劇場のバレエ監督に弟子入りして特訓、ダンスの名手となって社交界でデビュー、多くの女性に人気を博した。この噂は東京まで伝わり、心配した季一郎の妻(隆一氏の祖母)は子供を姑に預けて、ワルシャワに向かったという。季一郎は隆一氏に「車は後部座席に乗るもの」と嘯いていたが、ワルシャワ時代にはフィアットのクーペに乗っていた。その血を受け継いだ隆一氏は、今ポルシェのケイマンSに乗っている。
季一郎と同時期に、旧加賀藩主前田本家の十六代目当主で侯爵だった前田利為はロンドンの駐在武官を、山下泰文はウィーンの駐在武官をしていた。こういった欧米文化を吸収した文化的な軍人は戦争中僻地に追いやられ、前田利為は一九四二年ボルネオ守備軍司令官となるが、その年に乗機が墜落して亡くなっている。山下泰文はマレー作戦の成功で「マレーの虎」と評価を高めるが、フィリピンで降伏、戦犯としてマニラで軍事裁判にかけられ死刑判決を受け、一九四六年に処刑された。
「待たない」を実現する
アプリチェックイン専用機
アプリチェックイン専用機
ヨーロッパでは、本当に大事な仕事は評価の定まった年配者ではなく、三十歳前後でもちろん優秀だがさらにパワーのある人にやらせる。そうすれば、その若い人はその後五十年は活躍することができるからだ。実際樋口隆一氏は三十歳前後でドイツに留学し、バッハの全作品を新しい楽譜にする「新バッハ全集」のプロジェクトに唯一の非ドイツ人として抜擢された。樋口氏の専門である教会カンタータとは、聖書の物語を音楽で再現するもの。文字がわからないので聖書が読めない人が、この教会カンタータを聞くことで聖書が理解出来るように作られている。
音楽学者が指揮等実際の演奏を行うことは珍しい。学者は批評を行うこともあり、自分でも演奏をしていると批評が甘くなるから良くないという人もいるが、本来音楽学者と演奏家は両立すべきである。なぜなら自分で演奏する人の方が、細かいことがいろいろとわかるからだ。
ホテル事業に乗り出した時から研究しているアパホテルのチェックインシステムは、世界一進歩していると自負している。業界初、最新のアプリチェックイン専用機は、クレジットカードでのオンライン決済をしておくと、スマホのアプリ会員証の二次元コードをチェックイン機の読み取り口にかざすだけで、すぐにルームキーを受け取ることができ、「待たない」「並ばない」を実現する。順次、全国のアパホテルに導入される予定だ。こちらも業界初、特許出願中のエクスプレスチェックアウトポストは、ポストにルームキーを投入するだけで、自動でチェックアウト処理が行われる。
アパ社長カレーの売れ行きが好調で生産が追いつかなくなっている。このカレーはホテル専務と、料理大会の冷製部門で世界一になったこともあるアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉の岩崎勇名誉総料理長が半年掛かりで味を決めていったもの。金沢カレー風の洋食カレーだ。このアパ社長カレーは一部の郵便局でも販売している。東京都と長野県長野市の地域限定で発売されるのが、アパホテル広告付き年賀はがきだ。一枚五十八円と通常より五円安くなっていて、「牛に引かれて善光寺参り」をもじった「丑に惹かれてアパホテル」のキャッチフレーズと、アパ社長カレーのロゴマークが印刷されている。
音楽学者が指揮等実際の演奏を行うことは珍しい。学者は批評を行うこともあり、自分でも演奏をしていると批評が甘くなるから良くないという人もいるが、本来音楽学者と演奏家は両立すべきである。なぜなら自分で演奏する人の方が、細かいことがいろいろとわかるからだ。
ホテル事業に乗り出した時から研究しているアパホテルのチェックインシステムは、世界一進歩していると自負している。業界初、最新のアプリチェックイン専用機は、クレジットカードでのオンライン決済をしておくと、スマホのアプリ会員証の二次元コードをチェックイン機の読み取り口にかざすだけで、すぐにルームキーを受け取ることができ、「待たない」「並ばない」を実現する。順次、全国のアパホテルに導入される予定だ。こちらも業界初、特許出願中のエクスプレスチェックアウトポストは、ポストにルームキーを投入するだけで、自動でチェックアウト処理が行われる。
アパ社長カレーの売れ行きが好調で生産が追いつかなくなっている。このカレーはホテル専務と、料理大会の冷製部門で世界一になったこともあるアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉の岩崎勇名誉総料理長が半年掛かりで味を決めていったもの。金沢カレー風の洋食カレーだ。このアパ社長カレーは一部の郵便局でも販売している。東京都と長野県長野市の地域限定で発売されるのが、アパホテル広告付き年賀はがきだ。一枚五十八円と通常より五円安くなっていて、「牛に引かれて善光寺参り」をもじった「丑に惹かれてアパホテル」のキャッチフレーズと、アパ社長カレーのロゴマークが印刷されている。