日本を語るワインの会192

ワイン192二〇一九年五月七日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。日本ではコーヒーの産地として知られるホンジュラス共和国大使館特命全権大使のアレハンドロ・パルマ・セルナ氏、昼間は大工の仕事をしながら明治大学の夜間部を卒業した衆議院議員の桜田義孝氏、今年東京国際大学学長に就任した慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平氏、道徳の教員の育成と歴史研究の二つに情熱を注ぐ麗澤大学学校教育研究科道徳教育専攻特任教授の髙橋史朗氏をお迎えし、平成から令和に変わった日本に求められることを語り合いました。
ホテル社長の強運で
日本選手がマラソン優勝
 五月五日にカナダのバンクーバーで行われたバンクーバー・マラソンで、川内優輝選手が優勝した。川内選手は公務員ランナーとして活動してきたが、今年の四月にプロに転向したばかり。GWを利用して代表とホテル社長はバンクーバーを訪れ、コースト・コール・ハーバー・バンクーバーホテル・by APAに宿泊していたが、このホテルはバンクーバー・マラソンのオフィシャルホテルになっており、川内選手も、同大会の女子で優勝した婚約者の水口侑子選手と共にここに宿泊していた。偶然川内選手とフロント前で大会の二日前に出会った。ホテル社長は、ストラップとサインした自著「強運」をプレゼントし、「強運の私と出会ったから、絶対優勝よ」と励ました。レースは緊迫した展開となり、一時期先頭を他の選手に譲った川内選手だったが、その時に「絶対優勝」というホテル社長の言葉を思い出して奮起、トップを奪い返してコースレコードで優勝したという。レース後にもホテル社長は川内、水口選手とホテルのロビーで再会し、自社のホテルにあるレストランでお祝いとして両選手の好きなものは何でも食べておいでとご馳走した。自分の言葉と現実を合わせるのは大変なことだが、それを続けてきたホテル社長の「強運」が、川内選手に乗り移ったようだ。
九条以外にも憲法には
改正すべき条項がある
 
本来なら今年の参議院議員選挙までに発議しなければならなかった憲法改正だが、なかなか進まない。衆議院、参議院両方の憲法審査会もなかなか開催されない。野党がボイコット戦略をとり、委員会に出席しないから開けなかったのだ。彼らの言い分は、憲法審査会を開くことは憲法を改正することだから出席しないという。しかし、本来なら議論をして改正するかしないかを決めればいい訳で、出席して反対と言えばいい。議論自体を避け審議に応じないのはおかしなことだ。この五月九日にようやく野党が出席して、一年半ぶりに衆議院憲法審査会が開かれた。それでも今国会での発議は目処が立たない。やはり両院の三分の二の議員の賛成で発議というハードルは高い。
 政治の世界は一〇〇を求めるが〇にはしないという世界だ。憲法改正も本来なら九条など変えなければならない処がたくさんあるが、国民投票どころか発議も一度も行っていないのだから、まずは多くの国民のコンセンサスを得やすい項目、例えば自衛隊明記などで改憲を行ってみることだ。一度やれば、他の項目も改正しやすくなる。改正が必要な条項は例えば憲法第八九条だ。「公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とある。これに従えば、私学助成は明らかに違憲だろう。第九六条も改正して、必要な両院の賛成議員数を過半数にすべき。三分の二は民主主義の原理に反するだろう。改正が難しい憲法を作って日本に押し付けたのは、先の大戦で強すぎた日本に恐怖心を抱いたアメリカが、この国を骨抜きにしようとしたからだ。これはアメリカの国益追求から考えれば正しかった。日本国憲法を考案したアメリカ人は、第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」において、「象徴」を積極的な意味で使う意図だったという。しかし日本の戦後教育では、この一条を「天皇は象徴に過ぎない」と「象徴」を否定的に解釈し続けてきた。これは憲法の本意から外れることだ。
 しかしその戦後教育は今、崩れ去ろうとしている。今回の改元でも、皇居二重橋前でインタビューを受けていた若者が、「改元という歴史的瞬間を体験したくて来た」と答えていた。そんなことは戦後教育では一切教えていない。日本人が潜在的に持っている、天皇、皇室との一体感の表出であり、天皇が真に国民統合の象徴であることを示している。この感覚は世代を越えているが、特に若い人の方が健全であり、保守の考えを持つ人が多い。最も問題なのが、その八割が自衛隊を違憲とするとも言われる憲法学者だ。世界中の国々が情勢に応じて行っている改憲を、憲法学者はタブー視する。若者の方が遥かに冷静に今を見ていると言えるだろう。
 日本に原爆を二つ投下してようやく勝利を掴んだアメリカだが、この投下に対して将来責められることを恐れ、日本に厳しい憲法を押し付けた。原爆投下のもう一つの理由は、ソ連への牽制だ。もし投下がなければベルリンを占領したソ連はそのままヨーロッパなどユーラシア大陸全体を抑えようとし、それに対抗するアメリカとの第三次世界大戦で、一千万人を超える人々が戦死傷することになっただろう。その「熱戦」を原爆投下が「冷戦」に変えたのだ。
憲法にあるからではなく
太古から天皇は象徴だった
 御代替わりが粛々と行われた。宮中三殿での儀式がメディアでいろいろと報じられ、例えば大嘗祭の斎田を決める「斎田点定の儀」では亀卜が用いられるなど、私達がこれまで知らなかったことが続々と報じられている。御代替わりがお祝い気分になったことからも、結果的に譲位が行われて良かった。雅子皇后の笑顔が晴れやかになったことも素晴らしい。これまでの天皇の即位の最高齢は六十歳だったが、今上天皇の即位は五十九歳二カ月で歴代二番目になる。この辺りも考慮された譲位だったのだろう。久しぶりに日本国民全員が喜べることだった。譲位はなかなか野党も反対しにくいことだったが、日本共産党は国による元号の強制使用に反対だという。しかし元号は、世界でも日本だけの伝統だ。皇位が男系で継承してきたことと同様、大切にすべきことだろう。日本に住む外国人の視点からも、全国の若者が新しい元号を祝い、令和婚に意義を見出していることが非常に感動的に思えるという。
 左派メディアも御代替わりには悪口を言わない。NHKの「皇室の祖先の『天照大神』がまつられる伊勢神宮の内宮」という報道が、「神話と史実を混同する内容だ」と批判されるぐらいだ。世界で最も長く続いている王室である皇室は、世界でも崇敬の対象だ。だからアメリカ大統領が来日した時に最も会いたいのは天皇陛下だし、主席になる直前の習近平氏も天皇陛下に会いたくて、小沢一郎に頼んで従来の慣習を曲げさせた。欧米では国王と民衆との戦いの歴史がある。しかし天皇と民衆の戦争はなかった。京都御所が要塞化されていないことからも、民衆との関係性は明らかだろう。天皇陛下は日本国憲法にそう書かれているから国民統合の象徴なのではなく、古来、象徴だったのだ。GHQによる十一宮家の皇籍離脱は、天皇家の自然消滅を狙ったものだ。側室を持てない今の天皇では、男系での皇位継承が難しい。宮家の復活を行うべきだろう。今は行われていない皇位継承に関する政府主導の議論を復活させるべきだ。
国際世論に訴えるべく
記憶遺産資料を分析中
 理論経済学は社会科学分野の中でも論理を重視する学問だ。代表が提唱する理論近現代史学は、これまで論理が適応されることが少なかった歴史学をロジカルに読み解こうという試みで、非常に意義が大きい。論理的に考えればあり得ることかあり得ないことかはわかるはずだが、多くの人々があり得ない歴史解釈を言い伝えのように信じ込まされている。俗に言う「南京大虐殺」も、占領してしまった都市で三十万人もの女性や子供や非戦闘員の人々を殺すなど、あり得ない。ひとりの死体の写真もなく、ひとりの犠牲者の名簿もないのに、二〇一六年に「中国の南京大虐殺文書」がユネスコの記憶遺産に登録された。この文書は中国では全二十巻の書籍として出版されている。髙橋史朗氏らはこの文書を入手、記憶遺産としてふさわしいのかどうかを分析中だ。この文書は、登録はされたが、その内容についてまともな議論が一切されていない。きちんと調べた上で国際世論に英語で訴える予定だ。
 二〇一七年一月、アパホテルの部屋に置かれた代表の書いた書籍が南京大虐殺を否定しているとしてネットで炎上、中国政府がアパホテルを名指しで批難した。代表は日本には言論の自由があり、それに従って自らの考えを表明しただけ。もし異なる意見があれば、参考とするので提示して欲しいと反論したが、中国政府は提示してこなかった。これで中国は、南京大虐殺という歴史カードを使用することができなくなった。毎年十二月十三日に中国では南京大虐殺犠牲者国家追悼日の記念式典が盛大に行われるが、習近平主席は二〇一八年には参加していない。習近平主席自身が、次第に南京大虐殺が出鱈目であることを認識しているからだろう。日本ではメディアが中国の片棒を担いで、南京大虐殺を喧伝している。日本政府は根拠のある反論を行わなければならない。
 ホンジュラスは北米と南米のちょうど中間にある国。人口は約九三〇万人、首都はテグシガルパだ。このテグシガルパを含む南部は標高千〜千五百五メートルの山岳地帯であり、常春の気候になっている。ハリケーンによる自然災害対策が国として急務だ。言語はスペイン語だが地域によってアクセントが異なったり、同じ発音の同じ言葉でも意味が違ったりする。元々この地にいた人々は、民族固有の言葉を話す人もいる。
 江戸時代に活躍した福井藩士・橋本左内が十五歳の時に著した「啓発録」は今でも福井県内の中学校では読まれており、校庭に啓発録の五項目が掘られた石碑のある学校も多い。この五項目は「稚心を去る」「気を振う」「志を立てる」「学に勉める」「交友を択ぶ」だ。福井県では学校行事として、中学二年生を対象にした「立志式」が毎年行われている。