Big Talk

ビッグトーク250(BIG TALK) 国の再建を賭けて、今は 立ち上がる時。未来は常に 立ち上がる人の手中にある

長年続いたベン・アリ政権が、ジャスミン革命において民衆の力によってほとんど無血状態で打倒されたチュニジア。新憲法制定のための議会選挙が行われ、新大統領就任、新内閣も成立して国の再建に取り組み始めている。チュニジア大使のエリエス・カスリ氏に、新生チュニジアが目指すものは何かをお聞きした。

二十三年間続いた政権の崩壊まで
たった一カ月の出来事だった。
革命後のチュニジアは選挙を経て新内閣も発足

元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。ジャスミン革命を経て新体制になったチュニジアの最初の駐日大使であるカスリさんをお迎えすることができて、大変光栄です。
カスリ こちらこそお呼びいただきまして、ありがとうございます。先日は元谷代表のお宅にお伺いして会合にも参加させていただきまして、非常に楽しい時間を過ごすことができました。代表と芙美子社長とのおもてなしにも感謝しております。国際情勢や各国の政治的駆け引きの話などで盛り上がり、私も少々興奮しました。
元谷 あの会も盛会でしたね。一昨年の十二月に私はチュニジアとリビアを訪問したのですが、その直後にジャスミン革命が起きて、両国とも政権が替わることになりました。しかし訪れている時には、そんなことになるとは夢にも思っていませんでした。
カスリ どうにもならない状況になってしまいました。
元谷 しかし自由なイメージがあるチュニジアでは、街の中で武装した警官を見かけることが非常に多かった。一方カダフィ大佐の独裁が伝えられていたリビアでは、武装した兵隊を見ることもなく、ここ数年の投資ブームもあって街は超近代化していました。まさに見ると聞くとは大違いでした。
カスリ さすがに良く状況をご覧になっています。
元谷 中部の街で路上で野菜を売っていた青年が警察に商品を没収され、その抗議から焼身自殺を図ったことがジャスミン革命の発端でした。彼が亡くなった二〇一一年の一月四日以降、反政府デモが急速に広がり、首都チュニスにも波及し大きな暴動へと発展、一月十四日にベン・アリ前大統領はサウジアラビアに亡命し、二十三年間に亘る政権が崩壊しました。たった一カ月の出来事だったのですね。
カスリ あっという間の出来事でした。今チュニジアは、新しい国づくりのために、国民が一丸となって取り組んでいます。昨年の十月二十三日には新しい憲法を作る制憲国民議会の選挙が行われ、そこで第一党となった穏健なイスラム主義政党であるエンナハダは、第二党の共和国のための会議(CPR)と第四党の中道左派・エルカトルと連立政権を樹立することに合意しました。十二月十二日にはCPR代表のマルズーキ氏が制憲議会によって大統領に選出され、十二月二十三日にはエンナハダ幹事長のジュバリ氏を首相とする新内閣が議会によって承認され、新しい体制が整いました。二月十三日にもチュニジアから公式代表団が日本・チュニジア合同委員会に参加するために来日、日本との協力関係を発展させ、日本からチュニジアへの投資を呼びかけました。元谷代表にも広い視野と豊富な経験を持つビジネスマンとして、いろいろとチュニジアの再建に関してご助言いただければ、大変うれしいです。
元谷 もちろん、できるだけのことはさせていただきます。

表面上の繁栄とは裏腹に民衆の不満は蓄積していた

元谷 ところで、カスリさんは根っからの外交官なのですか?
カスリ はい、そうです。滞在した国としては一番アメリカが長いのですが、スウェーデンにも大使館のスタッフとして勤務したことがありますし、駐韓国大使や駐インド大使も務めました。韓国では金泳三大統領に信認状を提出し、三年間大使として赴任していました。そして駐インド・ネパール・スリランカ・モルジブ大使を五年間務めました。私のキャリアの中で国際政治や英語など五つの修士号を得、アメリカでのMBAも取得しています。
元谷 韓国にそれだけ長くいらっしゃったということは、東アジアに精通されているということですね。
カスリ 本国で極東に関する部門の責任者を務めていたこともあります。
元谷 そういう方に日本に来ていただいているのは、うれしいですね。チュニジアを訪問した時の私の印象は、「ヨーロッパナイズされた民主主義国家」でした。街も賑やかで、人々も生活を楽しんでいるように見えました。しかし一方で、国の内情についてのいろいろな話も聞きました。友人の友人でマグロの卸商をやっている人がいたのですが、この業界にベン・アリ前大統領の奥さんの親族の会社が参入してきたので、商売を止めるというのです。そうしないと、後々どんな問題に巻き込まれるか、わからないという話でした。そういう理不尽なこともあるのか…と思っていたのですが、日本に帰国したらすぐに革命が勃発して…。単に観光するだけではなかなかわからないのですが、ずっといろいろな問題がくすぶっていたのでしょうね。
カスリ はい。近代的な国家を装っていたチュニジアですが、内部にはいろいろな矛盾を抱えていました。特に経済は、経済成長が進んでも若年層の失業率がなかなか改善されないことや大統領の親族企業が幅をきかすなど、歪な形で発展してきたのが大きな問題でした。今回市民が立ち上がって達成した無血革命で、ようやく新しい国や経済の形が築けるのではないかと、期待しています。
元谷 しかしここまで短期間にきちんと変革を成し遂げようとしているのが、非常に素晴らしいと思います。チュニジアからエジプト、リビア、そして今はシリアへと波及した「アラブの春」ですが、エジプトではムバラク体制後を担う軍政に対するデモが頻発して不安定な状態です。リビアは内戦状態となり、カダフィ大佐が悲惨な最期を遂げることになりました。シリアも政府軍による反政府勢力の弾圧で多くの人が亡くなっているようです。流血の事態を避けて政権交代をいち早く達成したチュニジアが民主化への再出発のモデルケースとなって、他の国々を導いていくべきだと私は考えています。無血革命が達成できたというのは、チュニジアの教育水準が高く、理性的に行動する人が多かったことの成果ではないかと私は感じているのですが、カスリさんはどうお考えですか?
カスリ 十六世紀に一旦オスマン帝国の属領となったチュニジアですが、十七縲恟¥八世紀には、次第に実質的な独立国となっていきました。十九世紀初頭には再び力を盛り返してきたオスマン帝国や、隣国アルジェリアを征服したフランスの圧力が高まり、独立を維持するための近代化・西欧化が進みました。その一環として一八六一年には、イスラム圏でもアフリカでも初となる憲法を制定しました。チュニジアは、このようにいち早く近代化を進めた国なのです。ですから教育の機会は均等に国民に与えられていますし、遵法精神もしっかりと根づいています。この素地があったために、革命時にも秩序ある行動が保たれ、内戦にもならず、無血でベン・アリ政権を打倒することができたのでしょう。
元谷 日本ではこのまま江戸幕府が続くと、西欧列強の植民地になってしまうということで明治維新が起き、非常に短期間で国を近代化することに成功しました。チュニジアでも同様に、このままベン・アリ政権が続くとすっかりおかしな国になってしまうということで、今回のジャスミン革命が勃発したのだと思います。日本同様、チュニジアは伝統のある国で、私も実際にこの目で見てきましたが、歴史的な遺産だけでも素晴らしいものがいろいろと残っています。内戦にならなかったために、これらの遺産が失われることもなく、民主的な選挙が昨年の十月に行われ、順調に新体制への移行が進んでいるというのは素晴らしいですね。

チュニジア観光の重要な魅力は
「多様性」と「ホスピタリティ」。
不人気を自覚した大統領は身を守るため官邸を要塞化

カスリ 代表がおっしゃる通り、チュニジアと日本は古い伝統を持ち、文明や技術が発達しているという点で、非常に似ています。またチュニジアは憲法を基盤に、軍隊を保有していますが、これを使って他国に攻め入ること、人々を抑圧することはなく、まさに専守防衛のための軍隊です。この軍隊が市民に銃を向けることがなかったというのが、今回の革命が成功した大きな要因ではないでしょうか。
元谷 デモ隊への実弾の使用を求めたベン・アリ前大統領に対して、チュニジア軍が全く応じなかったと聞いています。この冷静な対応のおかげで、流血が避けられたのではないでしょうか。
カスリ チュニジアにはカルタゴのハンニバルの時代から、軍が法や秩序を守ることが伝統となっています。軍の役割は憲法を守ることに限られており、政治に介入することはありません。今回のチュニジア軍の行動は、この伝統的な行動規範に従ったまでなのです。この規範は軍隊でまずしっかりと頭に叩きこまれます。
元谷 そんな軍に対抗して、ベン・アリは大統領警護隊を強化していったのですね。しかし最終的には警護隊も彼を守りきれず、退陣を迫られて、亡命を余儀なくされました。これも訪問した時に聞いた話なのですが、大統領官邸は周辺の土地を吸収してどんどん拡大していったのですが、駐チュニジアのどこかの国の大使館が売却を拒否。そのため、その大使館の周囲全てが大統領官邸の敷地となり、その外国のスタッフはいちいち官邸の土地を通って大使館との行き来を行わざるを得なくなった…と。これは本当ですか?
カスリ はい。スイス大使館のことですね(笑)。
元谷 話を聞いて、大統領とはいえそんなことをしていいのかと思いましたが(笑)。
カスリ ベン・アリは自分が不人気であることをよくわかっていました。そこで何かしら自分や家族に危害が及ぶことがあってはいけないと、警備体制をどんどん強化していきました。大統領官邸の敷地を広げていったのも、ここを要塞化して自分を守るためだったのです。大統領警備隊の人員もどんどん増強していました。
元谷 権力を見せつけるためにではなく、もっぱらセキュリティ上の理由での敷地の拡大だったのですね。それも結局は無駄に終わったわけですが・・・。
カスリ おっしゃる通りです。

他のアラブ諸国のためにも
チュニジアの大成功が必要だ。
チュニジアの民主化が他のモデルケースになる

元谷 チュニジアは紀元前のカルタゴの時代からの長い歴史を持つ国です。その歴史を資源とした観光立国としての整備もなされていますから、民主化以後は、以前よりも多くの人々が訪れるのではないでしょうか。
カスリ 私もそれを期待しています。GDP内のサービス業のシェアが五〇%近くになっており、年間七百万人の観光客がヨーロッパや中近東諸国から訪れることからもお分かりになるように、観光業は我が国の経済の大切な柱です。チュニジアの観光には二つの重要な魅力があります。ひとつは多様性です。遺跡をとっても、紀元前のカルタゴのものから二世紀頃のローマ帝国のもの、アラブイスラム時代のもの、オスマン帝国に支配されていた時代のものまで様々。文化的にも先住民族のベルベル人、地中海文明、イスラム教文化、そしてフランス文化など様々なものがいろいろな形で今のチュニジアに大きく影響しているのです。
元谷 私もチュニス近郊のカルタゴ遺跡やローマ時代の円形劇場が残っているエルジェム、ファティマ朝時代の城壁の跡が残るリゾート地・マハディア、ローマ時代の水道橋が残るザグワンなどを訪れました。確かにそれぞれ、全く趣が異なる印象を受けました。
カスリ 重要な遺跡はちゃんとご覧になっているのですね(笑)。もうひとつの魅力は、チュニジア人の「おもてなしの心」です。例えば知らない旅人でも、なんらかの形での触れ合いがあれば、家に招いて食事を振る舞うなどということは、日常茶飯事です。これを私たちは大事にしていますし、誇りに思っています。
元谷 確かにみなさん、親切でしたね。そんな魅力で全世界にファンを持つチュニジアですから、今後の発展が期待できます。ジャスミン革命から一年が経過して、国も安定化して治安も問題ないと聞いています。また次の政権も軍事独裁色が強いものだったり、イスラム原理主義的な過激なものではなく、三党連立の形で進んでいっています。この連立政権への過程も、極めて民主的なステップを経ています。エジプトやリビア、シリアのお手本になれるようなモデルケースといえるのではないでしょうか。「アラブの春」が最初に始まったのがチュニジアであれば、最初に民主化した政権を確立したのもチュニジアといわれるようになることを、私は望んでいます。
カスリ ありがとうございます。先日アメリカのクリントン国務長官もチュニジアを訪れ、チュニジアの民主主義への移行の成功は世界にとってどれだけ重要かという演説をしました。私も全く同感です。これまでのチュニジアの最大の問題は、代表がその一端をご覧になったように、汚職、縁故主義及び良くない統治です。大統領の親族ばかりが優遇されていて、経済的なチャンスが万人に平等に与えられていませんでした。これからは雇用の機会均等も実現しますし、政治的にも宗教的にも差別されずにビジネスを行うことができます。これらの改革を成功できれば、必ず他のアラブ諸国も倣って民主化を果たすはずです。私たちの挑戦が大成功で終わるように、日本やアメリカをはじめとした先進国や他の国際社会も、チュニジアの動きをサポートして欲しいと切に願っています。
元谷 もちろん全面的に支援しますよ。またチュニジアで実際に何が起こったのかをしっかりと検証しなければなりません。この新しい革命は、チュニジア一国の話ではないのですから。新しい波がチュニジアで発生し、全世界へと広がっていったのです。その波の背景にあるのが、ウィキリークスやFaceBookなど、高度に発達したIT(情報技術)サービスの存在です。ITによって目覚め結びついた人々が国を変えるという流れは、すっかり世界を覆い尽くしています。
カスリ その通りだと思います。
元谷 だからこそ、チュニジアの民主化の成功が必須なのです。始めたのはいいが、終わってみると混乱を招いただけだったということになれば、せっかくのうねりが無駄になってしまいます。ぜひチュニジアからの波が、独裁のない機会均等な社会を築くきっかけだったと後々の歴史家から評価されるよう、がんばっていただきたいと思います。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
カスリ 二〇一一年はチュニジアにとっては大変革が起こった年だったのですが、日本も大震災によって苦しんだ年でした。でも立ち上がる人たちがいるから、国は再建されていくのです。実は私は志願して日本にやってきました。私は日本に行って、立ち上がろうとする人々と一緒に仕事がしたかったのです。過去にいろいろなことがあったとしても、未来は常に私たちの手の中にあります。若者であれ誰であれ、みんな立ち上がって進んでいって欲しいのです。
元谷 日本にもチュニジアにも通じる言葉ですね。今日はありがとうございました。
カスリ ありがとうございました。

エリエス・カスリ氏  Elyes Kasri
1956年生まれ。チュニス大学の英語学士と哲学修士、アメリカ・メリーランド大学の行政学修士などの学位を持つ。外交官としてスウェーデン、アメリカ駐在した後、駐韓国大使、駐インド大使を歴任。2011年8月、駐日大使に就任。

対談日:2012年2月29日