2015年5月号 第 177回  どうして救えなかったのか

馳 浩 衆議院議員


どうして救えなかったのか
馳 浩 ハセ ヒロシ・衆議院議員
 どうして救えなかったのか。
 川崎市で、不登校中の少年(中学1年生)が、同じ遊びグループの18歳と17歳の少年に、ナイフで首を切られ、なぶり殺しにされた。
 その猟奇的な手口や、動機の幼稚さ、そしてLINEを通じた現代っ子のコミュニケーション手法の浸透に、大人たちは驚きと同情と共に、重い命題を突きつけられている。
 どうして救えなかったのか……
 一人の少年が殺害され、裸のまま河川敷に放置されているのが見つかったのは、二月下旬。
 大々的に報道され、身元が確認された数日後から、この私ですら閲覧可能なスマホのフェイスブックに、実名や顔写真どころか、家族の写真までアップされた。
 その翌日には、犯人と思しき人物の顔写真や実名、家族の写真、住所までがアップされた。
 一体、なんなんだこれは?
 プライバシーや個人情報は、犯罪被害者やその遺族には許されないのか?
 同様に、まだ刑も確定されていない、それどころか警察に任意動向すら求められていない、容疑者でもない段階にもかかわらず、一方的に犯人扱いされて顔や名前や住所や家族の写真までさらされてしまう日本社会(いや、ネットは一瞬にして世界中に拡散してしまう)って何なんだ。
 法律なんて有名無実。
 マスコミ報道なんてかったるい。
 警察はまだつかまえられないのか。
 親は、学校は、弁護士は何やってんだ。
……。
 一億総野次馬状態。
 教育評論家や警察OBがワイドショーにゲストとして登場し、熱弁をふるうも、どこかネット社会とは一線を画してしまっているような印象。みんながみんな、関心は強くあるのだけれど、何がルールで、何が法律で、そして一体何が正しいのかすら戸惑ってしまうようなカオスの中で、ようやく一週間後に、任意同行を求められた三名の容疑者(未成年。18歳と17歳と17歳)が逮捕された。
 要は、少年たちの非行グループ内のイザコザがエスカレートし、ナイフでの殺害に到ったようなのである。
 ここで問題とすべきポイントがいくつかある。そこを深く掘り下げて行くべきだろう。
①被害者の親も、加害者の親も、未成年の自分の子どもが一体何をやっているか、管理監督できていなかったのか?
②被害児童は公立中1年生で不登校児。担任の先生は、何度も家庭訪問やスマホに連絡を入れていたそうだが、どうして対面確認をしなかったのか。学校と家庭と警察や地域福祉機関との横の連携は取れなかったのか。
③飲酒や喫煙の常習者との報道があり、犯行当日も、自宅や近所の中華料理店で飲酒してから、LINEで連絡を取り合って合流し、暴行がエスカレートし、裸で川で泳がせた後にナイフやカッターで顔や首を斬りつけて殺害したとのこと。どうして、誰かがどこかの段階で犯罪に気がついて、抑止力を発揮することができなかったのか。
④ナイフで首を斬りつけ、殺害するという映像は、イスラム国がネットで世界配信し、平和な日本の一家庭でも、数回クリックすれば茶の間や自室でその残酷な場面を見放題。これって異常ではないか? 表現や報道や結社や宗教の自由とは次元が違う。単なる殺人集団の示威活動に過ぎず、テロリストの売名行為と呼ぶべきか、言語道断の非道な行為。このイスラム国の殺害ネット配信が、少年たちの行為に及ぼした影響が多分に(充分に)見られるのではないか。
⑤エスカレートしがちな子ども同士の集団の中で、誰かが止めることをできなかったのか。
 ……おそらく、誰もが、この程度のことは想像力をめぐらせて思案し、涌き上がる憤怒の感情をおさえ切れないまま、沈み込んでいるのではないだろうか。
 もはや、法律うんぬんのレベルを超えた次元での議論も、少年法見直しの議論も、共に必要だろう。
 私は思う。
①今や教育の中にネットがあるのではない。ネット社会の中で青少年教育を論じ、実践し、情報通信機器の技術進歩を超えたアプローチが必要だ。
②子どもの養育責任は、親。親責任を果たさせるには、学校、警察、司法、福祉、医療、コミュニティの連携が必要不可欠。とりわけ学校には、法律上、安全配慮義務がある。その義務を果たすための専門性と、人的配置と、ネットワーク作りの見守りが必要。
 誰もが想像力を働かせるべきだ。
 殺された少年が歩んだ人生と、裸で二月の多摩川を泳がされ、ひざまづいて首にナイフを突き刺されるがままの、その瞬間の心情を。
(了)