2014年6月号 第166回
「責任者は、誰だ!!」

馳 浩 衆議院議員


 いじめ自殺。
 体罰事件。
 安全なはずの学校で起こる、痛ましい事件。
 保護者の立場になってみてほしい。
 犠牲となった児童・生徒の立場を考えてみてほしい。
 いたたまれないし、同情を禁じえないし、あってはならない、理不尽なこと。
 ましてや、教育現場の事務を所掌している教育委員会は、どうして迅速に実態調査をしないのか。再発防止を目に見える形で実行しないのか。
 それどころか、誰も責任を取らず、ダンマリをきめこんで、あろうことか事実をにぎりつぶしてしまう隠蔽体質(教育ムラ)まで明らかになった。
 外部監査や第三者評価が定期的に入らないがゆえに、ムラの中では何十年もの特別な人間関係が構築され、聞く耳を持たない閉鎖的なよどんだ空気が漂っているというのである。
 私もそのよどんだ空気を外部にさらすため、一年前に「いじめ対策法」を議員立法で成立させていただいた。
 しかし、改革の本丸は、合議制の教育委員会。この制度の影の主役は、「教育委員会事務局」が、密室でなにごとも処理しているのではないか、と疑問視されていること。
 そして、イザ、事故や事件など、教育現場で危機的な事象が起きた場合に、
「誰が責任をとり」
「誰の責任で事実解明し」
「誰の責任で公表(個人情報保護法のもと)し」
「誰の責任で混乱を収め」
「誰の責任で再発防止措置をとり」
「その際の国の責任、都道府県の責任、市区町村の責任、保護者の責任をどうするのか」
 ……
 この議論は、野党時代の自民党文教族の中心的な改革テーマだった。
 安倍晋三総裁が再登板した平成24年の秋頃には、下村博文党教育再生本部長(現文部科学大臣)のもとで、改革案が取りまとめられていた。あれから二年。ようやく、
「地方教育行政法改正案」
 という、内閣提出の法律として国会に提出された。
 第一次安倍政権では、教育基本法が抜本的に改正された。
 第二次安倍政権の教育改革の目玉が、この法改正に基づく教育委員会制度の大改革だ。
 内容を確認しておきたい。
①教育委員会は執行機関として存続。
②新教育長は首長が任命、罷免し、議会の同意を得
 る。任期3年。他の4名の委員は任期4年。
③首長が、新設する「総合教育会議」を主宰し、教育
 行政を遂行するための大綱を作成する。
④新教育長は、大綱を参酌し、教育行政の実務を取
 り仕切る。
⑤教育の政治的中立、安定性、継続性を守る。
 この制度改革のポイントは、中教審の答申である「首長が教育の責任者」となる案を、与党が差し戻して、教育委員会が引き続き執行機関として存続することである。
 なぜか?
 教育の政治的中立性、に配慮してのこと。
 首長が教育長や教育委員の人事権を握ることを明確にしたが故に、
「極端な人事を行う可能性のある首長が選挙で選ばれかねず、やはり、執行機関は中立的な機関とすべきではないか。」
 との議論に終息したからである。
 ただし、首長が主宰する、公開の場である「総合教育会議」で、教育行政の方針を決定することになるので、「一定」の影響力を、教育行政に発揮できるようになり、これまでの制度より
「一歩前進」
 する、と期待されているところ。
 総合教育会議で何が示されるのか?
 それは、予算の調整、執行や条例提案など、首長の権限に係る事項を協議することになり、具体的には、以下の三点。
①各地域の実情に応じて定める教育の振興に関する
 施策の大綱
②教育の条件整備など重要な教育施策の方向性
③児童、生徒等の生命又は身体の保護など、緊急事
 態への対処
 ……なんとなく、わかるようで、よくわからないような、アウトライン。
 ただ、知事や市長などは教育についての公約をかかげて選挙を闘い、民意を得て行政の責任者に就任するのであるから、大綱=方針に一義的に関与することは妥当。
 あとは、二元代表制の一方の雄、議会制がどこまでチェック&バランスを発揮するか、だ。
「地方教育行政の最終的な責任者は、誰?」
 私は思う。
 現場の声に応え、教育基本法にしたがい、児童生徒の生命を、からだを張って守れる教育長を、選ぶべきだ。
(了)