2014年5月号 第165回
「親子断絶防止法」

馳 浩 衆議院議員


 親子の関係を断絶するだなんて、おだやかな話ではない。
 しかし、この数字を見れば、どこか遠い国の特別なものがたりだとは、誰も思うまい。
・未成年の子を持つ夫婦の離婚は、平成23年に約13万6千件。
 つまり、毎年、15万人をこえる子どもたちが、本人の意志とは関係なく、親の都合で、別居親との関係を喪失しているのである。
 私が言うのも何だが、そりゃ、夫婦のあいだがらには、いろんな事があろう。
 離婚はしない方が良い。
 しかし、離婚せざるを得ない事情もまた、それぞれあろうから、絶対してはならないとまで、強くは言えない。
 でも、子どもの立場になってよ。
 いさかいをし、口論し合う姿を見せつけられる子どもの心理を考えたことがあるか?
 家庭内のDVで、子どもの心もからだも表情までも凍りつかせている意識はあるか?
 日本は、離婚をしたら、単独親権である。
 だいたい、日常的に養育をし、監護している親に、親権が与えられる。
 できるだけ、子どもの置かれている日常的な養育環境が安定していることが優先される。
 あたりまえだ。
 ただ、そのあたりまえの観点の中に、子どもにとっての最善の利益、最善の福祉、最善の教育という、具体的な視点がもり込まれているのか、注視せざるを得ない実態がある。
 離婚に至るプロセスやトラブルに子どもは敏感に影響を受ける。そしてとうとう、離婚となれば、どちらか片親とは、別居を余儀なくされる。
 会いたいのに、会えない。
 あるいは、同居親からさんざん悪口を吹き込まれ、会いたくないと言わされる。
 あるいは、ある日を境に、事情もわからずにプッツリと音信不通にさせられる。
 DVを毎日見せつけられていたので、憎しみだけが増幅し、トラウマとなり、人間不信に追い込まれる。
 本来ならば、家庭教育において人間社会の縮図を学ばなければならないのに、一方的に片親だけという現実を突き付けられ、成長の機会をうばわれる。
 まだまだ、あげればキリがない。
「明日、ママがいない」というTVドラマが、児童養護施設の実態をゆがめて表現しているということで社会問題になったが、そもそも、離婚で傷つく未成年の子どもたちの置かれている環境不備や、傷ついた心を何とかしなければならないという、根源的な問題について、あまりにも日本社会は無関心ではなかったか!
 14年前から児童虐待防止法の議員立法に取り組み、子どもの親権一時停止、一部停止問題に取り組んできた。そんな私にとって、離婚で心身ともに傷つけられるこの親子断絶問題は、新たな児童虐待の類型とさえ考えられる。
 とりわけ、無断の連れ去りによって、有無を言わさずに親子関係を断ち切られたケース。
 これは、拉致、ゆうかいではないのか?
 もちろん、原因が明確なDVである場合など、それは当然な連れ去りであり、自治体には女性センターなどに一時保護施設もあり、社会通念上、容認されている。
 ところが、この制度が悪用され、離婚することと、子どもを確保することだけが目的の「無断の連れ去り」事案が横行しているのである。その連れ去り手法をアドバイスする弁護士まで出現し、あろうことか、その連れ去りを支持する家庭裁判所の調停員までが法の番人として存在するに至っては、開いた口がふさがらない。
 平成24年に民法が改正され、面会交流が名文化された。ところがその改正の趣旨(子どもの最善の利益のために安定的な面会交流が必要)が家庭裁判所において徹底されているとは言い難い。
 家庭裁判所が監護の継続性を重視するあまり、「先に監護を始め、これを継続している事態を法的に追認している」ことにより、こんな形式的なヘンな裁定が横行しているのだ。
 つまり。
 自らの同意無く不当に一方の親に子を連れ去られ、継続性の原則のもと、親権や監護権を奪われ、面会交流が認められず、愛するわが子と断絶状態になってしまう-
 このような親が多数存在し、その苦しさのあまり、自殺をする親も相次いでいる。
 そこで。
①子の最善の利益を尊重し、
②悲惨な親子の断絶状態を解消し、
③両親が日常的に子の養育に関われるよう、
④安定的に面会交流を実現する
 こんな新規立法を目指して議連を創設した。
会長 保岡 興治(自民党)
副会長 泉 健太(民主党)
幹事長 漆原 良夫(公明党)
事務局長 馳 浩(自民党)
 息の長い、総合的な議論と、立法をめざしたい。
(了)