2013年8月号 第156回
「実務者協議」

馳 浩 衆議院議員

 いじめの問題は根深い。
 先生や大人にみつからないように、密室で行なわれるからだ。
 最近では、匿名性をいいことに、ネット上で一方的に傷つけたり、本人無断の情報をたれ流したりというひきょうないじめも。
「社会全体でいじめ根絶に取り組もう!!」
 を合い言葉に、法制化の流れも加速。
 児童虐待防止法のときもそうだったが、
「こんな法律を作らなきゃいけない時代になってしまったのか。日本人のモラルや倫理はどこに行ってしまったのか……」
 と、関係者一同が溜息をついているのも、わかる気がする。
 そうはいうものの、4月には参議院で野党が、5月には衆議院で与党が、相次いでいじめ防止対策に関する法案を国会に提出した。
 双方がぶつかり合って平行線となってしまっては成果が得られない。
 そこで、5月中旬より、全ての政党の法案実務者が一同に会しての一本化調整がはじまった。不肖はせ浩、座長となった。
 お互いに顔合わせをし、与党案をベースにして、野党案の中から
「どうしてもここだけは入れてほしい!!」
という内容を調整した座長案ができあがったところまでは、トントン拍子に進んだ。
 これならば、2~3回の実務者協議で仕上げられるかな、と読んでいたのだが、その見込みが甘いということがすぐわかった。
 それは、与党と野党で、法案に対する考え方が水と油のごとく違っていたからだ。
 与党の主張は明快だ。
「教育の現場は家庭や学校だ。従って、現場の手足をしばるような、あーしろ、こーしろ的な細目まで法律に書き込むべきではない。理念法として位置付け、いじめ防止対策に取り組む現場に対して、財政支援をしっかりとしてあげられるようにすべき。市町村の教育委員会、そして首長こそが設置者であり、設置者の自主的取り組みをバックアップし、社会全体がいじめ防止対策に取り組めるような包括的な内容が良い!!」
 という理念。
 ところが、野党案を拝見してビックリした。
「いじめ対策の組織を学校や自治体が作る場合の考え方」
「いじめの定義についての考え方」
「被害者への説明責任についての考え方」
「情報公開についての考え方」
 などなど、想定外を徹底して想定するほどの微に入り細をうがつような条文の書きぶり。
 国会議員として18年、手がけた議員立法が20本を超えている、それなりのキャリアを持つ
私にして、「これは……書きすぎじゃないのかな……」とうならざるを得なかった。
 座長案をテキストにしながら、ここから与野党の禅問答のようなやりとりが連日、延々と続くことになった。
 例えば定義のところで、
・いじめられた児童等が心身の苦痛を感じているもの。
 と調整しようとしたら、
「いやいや、本人が苦痛を感じていなくても、周囲から見ればどう見てもイジメだから、客観的な視点も入れて、表現すべき。苦痛を感じていると認められるもの、とか、苦痛を感じていると思われるもの、とすべき。」
 と切り返して来た。なるほど。そこで、
「そもそも、教育とは、子どもたちの状況を類推しながら適切に指導が行われるべきものです。認められるとか、思われると条文に書くと、まさしくどういう基準なのかのあいまいさが現場で問われ、混乱します。ここは、被害児童の主観を定義した上で、いじめが類推される状況もとうぜん解釈として入るということにしましょう!!」
 と仕切りをさせていただいた。
 また「全ての学校に、専門的な対策をすることのできるいじめ対策委員会をおくべきです」、という申し入れに対しては、
「既存の組織の活用も含め、学校長の指揮、監督のもとで、そういう組織を置きましょう」
 と折り合った。
 与党の考えは、罰則規定がない理念法。自治体が条例などによって自主的に取り組むいじめ対策を、国としてバックアップするという仕切り。
 野党の考えは、法律に書かなければ、教委も学校も何もしないという、しばり型。
 そんな議論でありながらも、計8回、30時間を超える調整の末、実務者協議はまとまった。この時点で、会期末まであと二週間。
 議員立法は、超党派であるということと、霞ヶ関のタテ割り行政をのりこえて対策を作ることができるという利点がある。
 いじめとは、人間の尊厳をふみにじる行為。
 与野党であーでもない、こーでもないと解釈論をもみ合ってる場合ではない。
 現場を支える法律と、社会総がかりの取り組みが必要不可欠なのだ。

(了)