2011年10月号 第134回
「消えた子どもたち」

馳 浩 衆議院議員

 東日本大震災。
 そして津波。原発事故。
 何が起こったか?
 我が国で初めての、大事故。
 原発施設や放射線管理区域外に、大量の放射物質が放出されてしまったのだ。
 環境汚染。
 何とかしなければならない。
 四月以降、与野党そろって、政府に対策を促して来た。はやく処理しろ!と。
 ところが、だ。
 待てど暮らせど検討中、の域を出ない。
 どうしたんだ?遅いじゃないか。
 じれったくなって、自民党内でプロジェクトチームを作り、調べあげた。
 何と、ことごとく、我が国の環境法令において、放射性物質は適用除外となっていることがわかったのだ。
 つまり、環境省(かつての環境庁)は、放射性物質の規制については、原子力行政始まって以来、ずっと「蚊帳の外」だったのだ。
「原発は安全だ!」
「管理がしっかりしているから、外にもれ出すはずがない。」
「だから、通産省(現経産省)と保安院と原子力安全委員会と科技庁に任しときゃいいんだ。厚生省の公害行政を抜き出したような環境庁に、放射性物質の環境汚染対策なんてやらせられるか!!」
 そう、全ては原発安全神話による想定外ということで、議論の外に追いやられて来たということがわかった。
 霞ヶ関のタテ割り行政ここに極まれり。
 だから、官僚組織の誰もババ抜きをしたくなくて、放射能環境汚染対策に大きな声をあげないのだ。
 バッカじゃなかろうか。
 事の真相がわかったので、これは手をこまねいて見ている訳にはいかない、と自民党内のPTで腹が固まった。鴨下一郎PT座長より
「これは、長年原子力行政を推進してきた自民党政権の責任でもある。今、この瞬間でも、八万人を超える福島県民がふるさとを追われて避難している、自民党が黙って見ているわけにはいかない。馳さんが事務局長として、放射性物質対処法(仮称)をまとめあげてくれ!!環境省に権応をもたせ、放射能汚染を低減させなければならない!!」
 とハッパをかけられた。
 何故、馳浩なのか。
 実は、今から十二年前、私がまだ参議院議員時代のこと。当時、社会問題にまでなった、
「ダイオキシン類対策特別措置法」
 を、超党派の議員立法でまとめ上げた経験があったからだ。省庁の垣根を乗り越えて、本邦初の環境中への放射能もれを規制する法律を、一刻も早く立法府の責任でまとめ上げろ、というわけだ。
 政治的に根回しのできない未熟な民主党政権にいつまでも任せておくわけにはいかないし、想定外を放置してきた自民党の責任もある。
 そこで。
 まずは、法案の骨組みをPTで作った上で、公明党、民主党の順で声をかけ、三党の協力体制を固めた。立法実務者の信頼関係さえできあがれば、後はお互いの主張を調整するだけ。
 自民党は、馳浩。
 公明党は、江田康幸。
 民主党は、田島一成。
 ただし、私たち政治家は、最新の科学的知見や法律条文を全て書きあげるプロではない。
 そこで、環境省の官僚二名と、衆議法制局の立法プロ二名を加えて、ミーティングを何度となく持った。
 できあがったのは、以下の内容。
[1]目的……今回の震災、原発事故が原因で環境中に放出された放射性物質への対処。
[2]責務……国が全面的に責任を持ち、地方公共団体は、適切な役割を果たし、国に協力。
[3]基本方針……環境大臣が作成するとともに、閣議決定をする。関係省庁は協力する。
[4]実務その(1)
 国の責任で放射線量のモニタリングをし、その結果を公表。環境基準の設定。
 実務その(2)
 放射性廃棄物の処理。特別地域を設定し、指定廃棄物の処理をする。
 実務その(3)
 放射能汚染土壌や工作物等を除染する。
 実務その(4)
 国が地方自治体の代行措置をし、費用負担を行う。
 以上。
 いつまでも政府が動かないから、福島から避難している人たちはいつまで経ってもふるさとに帰れない。五月十九日時点で、退園休園転園した幼稚園の子ども達は二三〇〇人もいる。
 この、消えた子ども達は氷山の一角。
 何とかして、政治の力を結集し、地元自治体と協力し、消えた子ども達を元に戻してあげなければならない。

(了)