2011年8月号 第132回
「スポーツ基本法」

馳 浩 衆議院議員

  昭和三十六年六月十六日。
 国会でスポーツ振興法が成立した。
 折しも高度成長時代まっ只中。
 そして東京オリンピック三年前。
 敗戦の焼け野原と屈辱から脱しつつあった日本にとって、経済力の強大化と共に国民団結のシンボルイベントがオリンピックだった。
「世界の仲間入り」「もう一度一流国へ」
 との悲願強く、誰もが努力、額に汗を流した時代。そしてスポーツが国民生活に浸透していったのだった。スポーツ少年団が結成され、地域スポーツの拠点にもなった。
 あれから五〇年。
 平成二十三年六月十六日。
 参議院文教科学委員会で、全面改正となったスポーツ基本法が成立した。
 この法律は議員立法(みんなの党以外の超党派)であり、私も提案者の一人として答弁席に座ることになった。
 平成十九年の十二月から立法のための勉強会をスタートさせたことをふり返れば、足かけ五年の大願成就である。
 勉強会当初の仲間は、超党派のスポーツ議員連盟。そこにプロジェクトチームを作った。
 かつてサッカーくじ法案を成立させたのもこのスポーツ議連であり、シナリオライターは時の体協会長にして元総理の森喜朗さん。
 そして議連会長は、平成二〇年に総理となった麻生太郎さん。
 満を持してスポーツ基本法に正攻法でチャレンジしたのには、訳があった。
 二〇一八東京五輪招致活動を盛り上げ、サポートする必要があったからだ。
 そのためには、スポーツ振興法の一部手直しだけでは不充分であり、どうしても政府支援(財政や税制面での)=お墨付きがほしかったのである。
 東京五輪招致を成功させ、スポーツの力で今一度日本に活力を取り戻したい、との悲願でもあった。
 ところが。
 平成二十一年度に入り、プロジェクトチームで法案がまとまった段階になって、民主党側からブレーキがかかった。
「今選挙をしたら、与野党逆転の政権交代が実現できる。そうしたら、民主党政権のもとで、政府提出法案として、スポーツ基本法を成立させる。トップレベルの競技スポーツ振興にエネルギーを注ぐ自民党よりも、地域スポーツ振興を主眼とする民主党の考えを反映させる!!」
 というのがその理由であり、事実、政権交代により、スポーツ基本法も東京五輪招致も頓挫した。
 平成二十一年十二月、鈴木寛副大臣などは、
「早ければ来年の通常国会に、文部科学省としてスポーツ基本法を提出したい。」
 と明言した。
 事ここに致って、トンビに油あげをさらわれるような気分になったものだ。
 そこで、政府が提出するより前に、スポーツ議連でまとめた案に、「スポーツの紛争処理・仲裁機関」を盛り込んだ議員立法をまとめあげ、平成二十二年の通常国会に自民党と公明党が共同で提出した。
 ところが。
 待てど暮らせど、文部科学省からはスポーツ基本法が提出されなかった。
「どうしたのさ?」
 と聞いてみると、案の定、スポーツ庁設置項目にケチがついて、行革の観点からも、内閣府の説得ができないとの情報が入った。
「でしょ!!言わんこっちゃない。だから政府提出にこだわらず、超党派提出の議員立法にすれば良いのさ。民主党が主張していたスポーツ権の文言も入れていいし、スポーツ庁は附則に書いて、組織はスクラップ&ビルドするという方針で、将来の検討項目にしときゃいいんだから。このあたりで取りまとめをして、議員立法でみんなで協力して成立させればいいじゃないですか!」
 と、法案とりまとめに当ったのが、自民党の遠藤利明さんと、民主党の奥村辰三さん。
 奥村さんが民主党をまとめあげて下さり、遠藤さんが法案の条文を調整するという絶妙のコンビネーションを発揮。
 ・スポーツ権の明記。
 ・競技スポーツと地域スポーツの好
  循環。
 ・障害者スポーツの明記。
 ・スポーツを国策と位置付ける。
 ・スポーツ紛争の仲裁・調停への支援。
 ・ドーピング防止活動への支援。
 ・プロスポーツも対象とする。
 などなどの、現代スポーツ事情を余すことなく反映したりっぱな基本法が議員提案で成立した。
 あれから五〇年。
 日本のスポーツシーンをさらに活性化させ、国際社会に貢献できるスポーツ外交をも展開していきたいものだ。

(了)