社会時評エッセイ

悲惨な戦争を 起こさせない為に 防衛力を増強せよ

藤 誠志

残虐さを極めた
韓国軍のベトナム人虐殺

 今年、創業四十三年となるアパグループでは、創業当初には社員全員で毎年海外研修旅行を行っていた。後には社員は選抜での参加となり、近年は、協力会社の会であるアパコーポレートクラブと勝兵塾との合同の海外研修旅行を、先の大戦の戦跡巡りを目的として毎年二回実施している。昨年の十一月は台湾の台北、六月にはフィリピンのマニラ、一昨年の十一月にはベトナムのハノイを訪れたのだが、今年の六月の訪問先は、かつてはサイゴンと呼ばれたホーチミンと決めた。出発直前に発行された雑誌「正論」の七月号に、「『慰安婦』を言う資格なし! 韓国のベトナム大虐殺を告発する」という記事が出た。北岡俊明氏、北岡正敏氏の兄弟が執筆したこのレポートは、ベトナム戦争時に韓国軍がベトナム全土約百箇所で行った、女性や子供、老人など一般国民の虐殺で、一~三万人の犠牲者が出たという驚くべきものだった。そしてベトナム各地には、韓国軍の虐殺を記憶に残すための慰霊廟が現存するという。急遽私はベトナム訪問スケジュールを変更して、約千人が韓国軍に虐殺されたという、ベトナム南部の村・ビンアンを訪れることにした。
 ホーチミンからビンアンまでさほど遠くないと思っていたが、調べてみたら六百キロを超える距離があり、高速道路もなく道路事情も悪いため、日帰りするために航空機を利用することとし、朝6時に起きて朝一番の便に乗り、中部ベトナム・クイニョンへと向かった。着陸後は借り上げたバスに現地案内ガイドを付けて、「正論」にも取り上げられていたビンアンの慰霊廟へと向かった。そこにあったのは、韓国軍の蛮行を描いた壁画だ。韓国兵によって火で焼き殺されようとしている裸の少女、強姦された若い女性と腕を縛られながら怒りを露わにする母親、人々が避難する防空壕に手榴弾を投げ入れようとする虎のマークの入った軍服を来た韓国兵…。ビンアンと周辺の十五ヶ所の村々で虐殺が行われた。村人が全員殺されたために、虐殺の事実が分からなくなっている場所もあると言う。ガイドによると、ベトナム戦争時、ビンアン付近は昼間は政府側である韓国軍の白虎師団が支配するエリアだったが、夜は南ベトナム解放民族戦線、通称ベトコンがやってきて宣伝のちらしを撒いていたというような、昼と夜で支配者が異なる場所だった。ある日ベトコンの掘った落とし穴で韓国兵二名が命を落としたため、韓国兵が村に押しかけて来て、誰が落とし穴を掘ったのか、ベトコンの基地はどこにあるのかを村人に厳しく問い質した。復讐という目的もあって、村人を尋問し、答えなければ即座に射殺し、結局一時間で三百八十人を虐殺した。
 雑誌「SAPIO」八月号には、同じ北岡兄弟による、より詳細なカラーの記事が掲載されている。ビンアン虐殺の描写はこうだ。「韓国兵は、女、子供、老人など弱者を中心に殺戮している。特に女性と子供が圧倒的であった。女性を強姦し、妊婦は腹を裂いている。子供は〇歳児から一〇歳児未満が多い。首を切り、手足を切断し、火に放り込みと、考え得るかぎりの残虐行為を働いている。これは地獄絵図である。現代のゲルニカである」。「事件当時、年齢が若い人ほど、韓国に対する恨みは強烈に残って」いて、「補償もなく、誰も復讐してくれない。いくら我慢強いベトナム人でも、ふつふつたる怒りと怨念がある」とある。実際私達を案内してくれたガイドからも、凄まじい怒りを感じた。

 

韓国からの賄賂があるから
ベトナムは告発をしない

 ホーチミンに着いてクチの地下トンネルを訪ねた。トンネルは小さなシャベルを使い、人力で蜂の巣のように張り巡らされたと言う。全長二〇〇キロメートルとも二五〇キロメートルとも言われ、地下に強大な居住空間が造られていると言う。ベトナム農民の決死の努力を知ることができ、農民が知恵を絞って造った様々な工夫を見ることができた。その後、戦争博物館で、私達は女性館長であるウィン・ロク・バン氏の説明を受け、バン氏から紹介された南ベトナム解放民族戦線の退役軍人ファム・バー・ルー氏から、ベトナムのゲリラ戦線においてアメリカ軍に死傷者が出ると、その首謀者を突き止めるため、アメリカ軍がベトナム人に対する拷問を行った話などを聞いた。その後の質疑応答で私は、韓国軍による蛮行で、女性や子供・老人が虐殺されたことに対して、ベトナムは人道に対する罪として韓国を告発すべきではないかと館長に尋ねたところ、館長は、謝罪は欲しいが、ベトナム人は過去に拘るのではなく、未来に向かって生きていきたいと返事をした。私はベトナム人の寛容さをその場では褒め称えた。その後、クイニョンで案内してくれたガイドにこの話をすると、違う答えが返ってきた。彼曰く、告発をしないのは、「お茶を飲んでいるから」。お茶とは賄賂のことだ。韓国の財閥から莫大な額の賄賂が政府高官に流れているという。絶対権力は絶対に腐敗する。中国同様、ベトナムも共産党一党独裁の国家であり、特権階級である共産党員の政府高官は、賄賂で豪奢な生活を送っている。ベトナム経済が発展しないのは、それら富裕層の財が海外に流れ、国内で流通しないからだとガイドは言う。昨年九月、韓国の朴槿恵大統領がベトナムを公式訪問した時も、謝罪の言葉は全く聞かれなかった。韓国に対する怒りと過去を封じるベトナム政府への怒り。ベトナム庶民は二重の怒りに耐えているのだ。
 ベトナム女性に対する韓国軍兵士の強姦などによって生まれた混血児・ライダイハンが、ベトナムには約二万人いることが明らかになっている。日本軍は一般女性への強姦を防ぐために、民間の慰安所を容認しそれらを軍の駐屯地の近くに造らせ、軍が衛生管理を行った。一九四四年にビルマでアメリカ軍が保護した朝鮮人慰安婦の事情聴取を行っていて、その記録がワシントンの公文書館に残っており、これを取り寄せたテキサス親父ことトニー・マラーノ氏が、ホームページで公開をしている。これを読むと、慰安婦は高給をもらい、借金の返済が終われば自由の身になり、日本軍兵士と結婚した者もいるなど、「性奴隷」とは程遠い単なる戦時売春婦だった。韓国は事実を捻じ曲げ、「従軍慰安婦」「性奴隷」として非難しているが、ベトナムでは自国軍の兵士を管理することなく野放しにして、強姦だけではなく虐殺まで許してしまっていた。韓国がベトナムに与えた損害は甚大であり、人道に対する罪には時効がないというのなら、今からでも彼らの罪は国際社会の白日の下に晒されるべきだ。こんな韓国には何事であれ、日本を糾弾する資格はない。「正論」七月号と「SAPIO」八月号の記事には、私が訪問できなかった他の韓国軍による虐殺現場も写真付きで紹介されているので、是非多くの人々に読んでもらい、事実を知って欲しいと思う。

 

戦争の語り部の多くは
戦争の悲惨さを訴え
事実ではない情報を流す

 戦後、南京大虐殺で犠牲者が三十万人とか、従軍慰安婦として二十万人が強制連行され、性奴隷にされたなど、全く捏造された歴史が、日本がプレスコード(新聞編集綱領)に縛られて反論できないのを良いことに、中国や韓国から何度も繰り返し非難され、世界中で事実のように信じられることになってしまった。日本も三千人規模で予算三千億円の情報省を作り、二十四時間体制で世界中のあらゆる言語の報道をチェックして、事実に反するものがあれば、即座にその国の言語で反論するという体制を作るべきだ。また終戦から六十九年も経つと、実際の体験者がどんどんいなくなり、先の大戦にまつわる間違いを正すチャンスが失われていっている。さらに厄介なのが、意図的に誤った体験談を広めて歩く語り部の存在だ。六月二十四日に行った勝兵塾関西支部の月例会において、元陸軍主計曹長の織田文雄氏が講演を行った。自身が中国で従軍した体験談が話の中心だが、武器と軍服以外は全て現地調達せよというのが軍の方針で、食料や衣類などを「全て略奪で賄った」と、とんでもないことを言い出した。また日本軍が中国で大敗して、数万の戦死体を置き去りにして撤退したともいう。こんな話を参加者が鵜呑みにしてはまずいし、黙っていては私が認めたことになると考え、数十万人もの兵士の食料や衣類などを全て略奪で賄ったのは理屈に合わないのではと尋ねると、織田氏は紙切れ同然の軍票で購入したので、略奪と同じだという。しかし一回はそれで済んでも、二回目は無理だ。軍票が日本支配地域できちんと流通していて、その軍票で品物の売買ができたからであり、そうでなければ、八年間もの間、兵站が成立するわけがないと詰め寄ると、「補給は一部あった」と言い直した。また数万人の戦死者が出た戦いはどこかと尋ねると、耳が聞こえないふりをした挙句、「犠牲者は数千人でした」と言い出す始末。また軍人が自決用にと手榴弾を一個づつ持たされたというのだが、それは攻撃する時の武器で、軍人には銃があるのにどうして自決するのに手榴弾が必要なのか。私は織田氏に講演内容の訂正を厳しく迫り、このような嘘偽りを再び言い触らさないように注意をし、織田氏が「訂正します」と言ったところで、即座に「会場から出て行きなさい」と退出を促し、「高齢だから気をつけて帰るように」と言って弊社の社員に織田氏を送らせた。織田氏はこれまで特定の思想の人々の求めに応じて何百回も講演し、彼らの共感を得られるように話を改ざんしながら、語り部として僅かな金を稼いできたのだろう。こういう誤ったことを伝える語り部は、本州にも沖縄にも沢山いる。
 戦争の悲惨さは多くの資料や人々が伝える通りであり、戦争をしたいという人はいない。しかし人類は戦争を繰り返し、今や原子爆弾や化学兵器など、大量殺戮兵器を手にしている。戦争の背景には、このような武器を作って儲けている死の商人がいて、戦いを長引かせるのだ。先の大戦時に仏領インドシナ(ベトナム)に進駐した日本軍だが、ポツダム宣言受諾によって撤退することになる。これを機に独立したいというベトナム人を支援するために、約八百人の元日本兵が残留して一緒に戦い、ベトナムの独立に大きく貢献した。一九五四年、ディエンビエンフーの戦いで勝利したホーチミン政権は、フランスとジュネーヴ協定を結び、ベトナムは独立を獲得した。しかしアメリカは傀儡政権であるベトナム共和国(南ベトナム)を樹立し、ホーチミンの北ベトナムに対抗した。一九六三年、南ベトナムの仏教徒に対する政策に抗議して、アメリカ大使館前でベトナム人僧侶が焼身自殺、これに対して南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領の親戚の人が「人間バーベキューだ」とコメントしたことから、民衆の怒りが爆発しケネディ大統領も激怒しその後クーデターとなる。ベトコンと呼ばれる南ベトナム民族解放戦線は、この少し前に作られた反米・反南ベトナム政権の組織であり、これを北ベトナムが支援することで、南北統一国家を作ろうとして戦線は大きく拡大していった。

 

戦争が絶えないのは
軍需産業が望むからだ

 アメリカには先の大戦や朝鮮戦争時に作った武器弾薬など軍需物資が在庫として沢山残っており、アメリカの軍需産業はフランス撤退後のベトナムで戦争を拡大させることで軍需物資の在庫一掃と、新型兵器の開発・実験と軍需物資の販売のチャンスにしたいと考えていた。だから軍需産業は、ベトナムへの深入りに躊躇していたケネディ大統領を暗殺し、自分達の意向に沿う副大統領のジョンソンを自動的に選挙もなく大統領に昇格させ、ベトナムへの介入を広げていったという説もある。どこの国でも最も戦争を回避しようとするのは、いざという時に前線に立つ軍人であり、次に一般の国民だ。戦争が絶えないのは、軍需産業が望むからだ。先の大戦後も、アメリカは韓国の共産化を防ぐための朝鮮戦争や、南ベトナムが北ベトナムに侵略され、併合されることで、ドミノ倒しのように世界が赤化されることを防ぐためベトナム戦争、さらに湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争など、まるで公共事業のように次々と戦争を続けてきた。戦争で軍需産業は潤うかもしれないが、常に犠牲になるのは国民や兵士達だ。日本ではベトナムでアメリカ軍が使用した枯葉剤による被害で結合双生児となったベトちゃん、ドクちゃんが有名だが、実際ベトナムを訪れると、今でも多くの奇形児の姿を目にするし、枯葉作戦に従事したアメリカ兵にも被害が出ていた。軍需産業のロジックでは、敵国に奇形児が生まれようが、自国民に被害が出ようが、利益が出ればいいのだ。戦争の悲惨な現実を明らかにして、戦争の誘発を防がなければならない。
 憲法第九条があったから、先の大戦後日本は平和だったと主張する人がいるがそれは誤りであり、日本は強大な軍事国家・アメリカと日米安全保障条約を結んでいたからこそ、平和を維持できたのだ。しかしアメリカは日本周辺に常に争点を作り、日本がアメリカを常に頼らざるを得ない状況を築いてきた。一九四五年の夏段階では、アメリカは世界で唯一の核保有国だったのだから、ソ連に一言警告すれば北方領土が占領されることもなかったし、あったとしてもすぐに撤退して、北方領土問題など生じなかったはずだ。韓国との竹島問題も、勝手に公海上に李承晩ラインを引くことにアメリカが反対すれば竹島は今のようにはならなかった。尖閣諸島問題も、アメリカが態度を曖昧にしているところに、中国が付け入ろうとしているのだ。ここのところ、世界から軍隊を引き上げて撤退していこうとしているアメリカに対して、中国は西沙諸島や南沙諸島など、海に向かって勢力圏を拡大する膨張政策をとってきている。ベトナム、フィリピンなどと協力しながら、日本は戦争抑止力としての防衛力を増強して、力のバランスを維持し、戦争回避に最大限の努力をするべきだ。そのためには自主憲法を制定し自衛隊を国防軍として、自衛隊の行動の自由を確保して、ニュークリア・シェアリング(NATO四か国、ベルギー・ドイツ・イタリア・オランダとアメリカが協定している核兵器の共有システム)を日本も締結し、アメリカと共同での核武装をし、アメリカ軍が撤退していく力の空白を埋めていくべきだ。韓国がベトナムで行った蛮行を中国が日本で行うことは何としてでも避けなければならない。戦争回避のための時間は、もう余りない。
 そのためにも、安倍首相にはできる限り長く政権を担当してもらう必要がある。それには、自民党のさらに右を行く保守政党の存在が必要だ。日本維新の会が分裂して、橋下グループと次世代の党になったが、非常にすっきりとした。この次世代の党や田母神俊雄氏が立ち上げた日本真正保守党が、安倍船長の自民党丸をタイタニック号にしないように、砕氷船の役割を果たす真っ当な政党となって、日本を正しい方向に導いていかなければ、日本の将来はない。ベトナムで悲惨な現実を目の当たりして、日本を守ることの大切さを新たに感じた今回の研修旅行だった。

2014年7月24日(木)18時00分校了