社会時評エッセイ

藤誠志 社会時評エッセイ226:科学的根拠なき放射能報道が被害を拡大

藤 誠志

原発周辺の人々が
強制収容所に引き立てられるように
避難所に追い立てられている

   三月十一日に発生した東日本大震災による被害を大別すると、地震によるもの、津波によるもの、津波を原因とする福島第一原発の事故によるものの三つに分けられる。この内、地震による家屋倒壊で亡くなった人は数千人であり、二万人近くの人が津波の犠牲となった。原発事故では亡くなった人はゼロで、被曝した人も数人だ。にもかかわらず、原発事故によってあたかも大きな被害が出ているかのようなメディアの報道は、科学的な根拠に基づかない風評被害そのものである。さらに今問題にしなければならないのは、当初の震災という「天災」が「人災」に変わりつつあること、しかもそれは「菅災」とでも言うべき、自らの延命のためのパフォーマンスを続ける菅首相によって生み出されている災害だということだ。震災の直前には外国人からの献金問題で前原氏が外務大臣を辞任、そして菅首相にも同様の献金問題が発覚、そのままでは首相辞任は必至…と思われたタイミングでの地震の発生に、菅首相は思わず「これで二年は政権がもつ」と言ったそうだ。彼にとっては千載一遇のチャンスだったのだが、それに付き合わされる国民は悲惨だ。
 メディアは依然、今回の福島の事故と一九八六年のチェルノブイリ事故を比較して報じることが多いが、それは妥当とは言えない。まず炉の構造からして違う。チェルノブイリの原子炉は格納容器を持たない黒鉛炉だったが、福島は格納容器に守られた軽水炉だ。また事故内容も全く違う。炉そのものが爆発し、中の核燃料と炉を覆う黒鉛が粉々に吹き飛ばされ燃えて大気中に飛び散り、殺人光線とも言える非常に強い放射線を出し、世界中に放射性物質を撒き散らし放射能汚染を引き起こし、数十万人の人々が被曝して、直後とその後の死亡を含め少なくとも数千人の人々が命を失ったのがチェルノブイリの事故だ。しかし福島の場合は放射能漏れはあるものの、核燃料は原子炉の中に収まっている。一時的な放射線量の最高値はチェルノブイリより数ケタも低い。外国メディアの過激な報道により、大海に流れ希釈されたものまで含めた累積の放射線量がチェルノブイリの十分の一に達したと、福島の事故の評価を四月十二日に最高のレベル七まで一気に引き上げたが、これは全くおかしい。東大大学院の稲恭宏医学博士の主張するように、『放射能は自然界にも存在していて、私たちも大なり小なり毎日放射線を受けている。ガンの発生など体への影響が生じるのは、いっときに高い放射線量を浴びた場合であり、低い放射線量を浴び続けて累積値が高まったとしても、全く心配することはない』のだ。このことをもっと大々的に報道すべきである。田母神元航空幕僚長も例え話として、三トンの力が一気に肩にかかったら骨が折れて亡くなるが、肩たたきで一〇〇グラムの力が三万回肩にかかっても気持ちがいいだけだという。そういうものなのだ。
 年間の積算被曝線量が二〇mSvに達する地域を政府は計画的避難区域としたが、このレベルは年間に三回CTスキャンを受けた程度で、全く避難する必要などない。世界には住民がこれ以上の自然放射線を受けている地域があり、そこでも皆健康に暮らしている。一人ひとりに線量計を持たせ、細かく地域毎の放射線量を発表するなどで、住民が自らの判断で避難するかどうかを決めればいいのではないか。一時帰宅のものものしさもあまりにも過剰だ。防護服に身を包み、一家族あたり二名が二時間だけ許され、しかも持ち帰って良い品は、七◯センチ四方のビニール袋に入るものだけだという。これを海外の人が見たら、間違いなく一日でもそこにいたら死に至るほどの放射能被曝地域だと思い込んでしまう。同心円状の避難区域もおかしい。年間二〇mSvでもとんでもなく低い基準なのに、結果的には全くそれ以下の線量しか観測されてない風上の地域の人まで、強制収容所に引き立てられるように避難を余儀なくされている。そんな必要がどこにあるのか。大げさな対策とメディアの報道が、日本国民だけではなく、世界中に不安感をまき散らし、少しでも放射能被曝地が安全と言えば魔女狩りに似た批判の嵐に晒される。そんなに放射能による癌が心配なら、癌の放射線治療もCTスキャンもできないだろう。

福島第一原発の事故は判断ミスによる人災だ

  福島第一原発の原子炉が早い段階でメルトダウンを起こしていたことが次第に明らかになってきたが、もし事故の最初の段階で適切な対応ができていたならば、事態がここまで拡大することはなかった。地震によって鉄塔が倒れたために外部電力を失い、ディーゼル発電機によって電力を得ていた福島第一原発だったが、地震から四十一分後の十五時二十七分に到達した津波の第一波によって発電機が水没、非常用のバッテリーも水により使用不能となり、全電源喪失となった。電源がなく原子炉の冷却ができなければメルトダウンとなるのは、少し原発のことを知っている人であれば、誰でもわかったはずだ。しかし冷却のための原子炉への注水は、非常時において海水を投入するマニュアルが東電にもあって注入し始めたところで菅総理が中止命令を出し、再開もすぐに了承しなかったとの説もある。炉心溶融(メルトダウン)を起こしたことや、ベント遅れによる水素爆発も含め、状況に即応した手を素早く打つことができなかった判断ミスの責任の所在が今後明らかになり、強く非難されることになるだろう。
 地震が起こった時、関西に出張していた東京電力の清水社長は、新幹線も高速道路も止まり、平時の基準で夜間で民間ヘリも飛べないと、東電所管である経済産業省に依頼し、その経産省の要請を受諾した官邸が許可を出し防衛省に手配させて自衛隊機に搭乗できることになったため、早急に東京に戻って陣頭指揮をとるべく、航空自衛隊輸送機C-130に搭乗して小牧基地から入間基地(埼玉県)へと飛び立ったのだが、北沢防衛大臣が『自衛隊機は被災者支援が最優先だ』と離陸後に指示。清水社長の搭乗したC-130は離陸後三〇分で目的地に到着するはずだったが、田母神元航空幕僚長の件もあって防衛大臣の命令には逆らえず、離陸後二〇分の地点でUターンし小牧基地に再び戻ったというのだ。結局清水社長は十二日午前一〇時に民間ヘリで東電本社に到着したが、この間注水とベントのタイミングが遅れ、メルトダウンを起こして水素爆発となり、それに伴う放射能事故を引き起こした。このことからも、非常時に平時のコンプライアンスに囚われ、自らの責任の追及を恐れた北沢防衛大臣の責任も専門家気取りで直接陣頭指揮を執りたがる菅総理の責任も非常に重いし、大きな損傷もないのに高速道路を全面的に閉鎖した高速道路機構や損傷のない路線まで止めてしまったJRの責任も、あまりにも安全に配慮し過ぎてそのコストも不便も考えないゼロリスク社会を煽るメディアの責任も大きい。
 もしJRや高速道路を封鎖しなければ、帰宅難民も生れなかっただろうし、東京都民をはじめ多くの国民にこれほど大変な困難と混乱・不安を与えることもなかっただろう。

浜岡原発の停止請は菅首相のパフォーマンス

  五月十四日の午後一時に中部電力・浜岡原子力発電所の全ての原子炉が停止した。これは五月六日の菅首相の「要請」を受けてのものだ。この日記者会見をした菅首相は次のようなことを述べた。『国民の皆さまに重要なお知らせがあります。本日私は内閣総理大臣として、海江田経済産業大臣を通じて浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を、中部電力に対して要請致しました。その理由は何といっても、国民の皆様の安全と安心を考えてのことであります』『文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから三◯年以内にマグニチュード八程度の想定東海地震が発生する可能性は八七%ときわめて切迫しております』『想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要です』『こうした中長期対策が完成するまでの間、現在定期検査中で停止中の三号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断を致しました』『国民の皆様のご理解とご協力を心からお願いを申し上げます』。その後の質疑応答では、記者がなかなか鋭い質問をしている。『中部電力はこれまで、東海地震並みの揺れが起きても安全性に問題はないとしてきて、国も容認してきたわけだが、なぜこの期にいたって突然、この浜岡原発だけなのか』とか『夏場の電力量よりも供給量が下回ってしまうと思うがその対策は具体的には?』とか『浜岡原発への停止要請だが、どういう法律のどういう根拠に基づく要請であるのか?もし法的担保ない場合は中部電力が断った場合には総理はどうされるつもりか?』とかいった質問にも十分に答えられず、『三◯年以内に八七%』の確率でマグニチュード八程度の地震が起こるというが、その時に今回と同じ規模の津波が来る確率は、相当低い。唐突に停止するよりも今回の福島では地震で鉄塔が、その後の津波でディーゼル発電機が壊れ、さらにバッテリーが切れて全ての電力が喪失したために冷却システムが使えなくなったのが事故原因だから、原子炉の熱を利用した蒸気機関で水を循環させ冷却する装置を設置するなど電源に頼らない冷却システムを確実なものとする施策を直ちに実行すべきで、高さ十五メートルもの防潮堤を二年もかけて造るまで、この電力のピーク期である夏場を前に運転を停止させて反原発派の歓心を買い、支持率を上げようとする魂胆は許せない。

自動車も飛行機も原発にもリスクがある

  「大英断」という評価まで引き出したこの菅首相の浜岡原発停止要請だが、話はそれ程簡単ではない。これまで原発はどこでも推進派と反対派の対立の嵐に晒され、お金やハコモノを提供するなど多くの時間とお金と苦労をかけてようやく建設できたものばかり。だから一度できれば同じ場所に次々と複数機設置する。浜岡原発の停止要請は、原発反対派に迎合することで世論を味方にして政権の延命を図ろうという菅首相のパフォーマンスだ。この停止が、これまでの日本の原子力行政を一変するインパクトを持ち、世界に与える影響が甚大なことを、彼はわかっているのだろうか。
 原子力を人類が利用し始めて七十年近くになり、世界で現在四百四十三基の原発が稼働している。最初は原子爆弾という形で広島・長崎で多くの犠牲者、被爆者を出し、その後の大気圏での核実験でもビキニ環礁やサハラ砂漠、中国新疆ウイグル自治区・ゴビ砂漠のロブノール周辺などで多くの人々が放射能による被害を受けている。原発による被害はチェルノブイリの事故によるものがこれまで最大だ。しかし世界で四百四十三基もの原発が稼働していることをトータルで考えると、原子力は安全にコントロールされている技術だと評価することができる。今世界的に見ても、原発のメリットは事故のリスクを大きく上回っている。例えば自動車を考えてみよう。交通手段として自動車は無くてはならないものだが、一方、かつては年間約一万六千人もの人々が交通事故で亡くなるなど、利用によるリスクも大きい。しかしメリットがリスクより大きいので、人々は自動車を使い続けてきた。ヘッドレストやシートベルト、ABS(アンチロックブレーキシステム)、エアバッグなど安全技術の進歩や規制の強化で交通事故での死者は今や年間約五千人までに減ってきている。航空機も同じで、数多くの事故を教訓として、安全技術を磨き、リスクを極限まで小さくしてきた。原子力もこれらと同様に、技術によってどんどんリスクの最小化を図ってきたのだ。これを踏まえ、民主党政権も震災前は電力の五〇%を原発で担うことを目指すと言っていた。それをいきなり「浜岡停止せよ」では筋が通らない。中部電力が止めて発生するコストアップの補償は国に請求するのが正当だが、その支払いは国民の税や電気料金の値上げによって賄われ、結局国民の負担となる。今回のように原発を法律の根拠なく政治的圧力で停止させ、それをメディアが誉めそやす前例を作ってしまったのは、法治国家として今後に大きな禍根を残す。またこれで原発反対派が勢いづけば、日本の電力供給体制に足かせがかかる。日本はますます疲弊することになるだろう。菅総理はサミット冒頭で太陽光や風力など再生可能なエネルギー政策を柱にして二〇二〇年代に自然エネルギー発電を二〇%にすると公約したが、これらは雷も曇りや雨の日も多い日本では全く投資効率が悪い。菅表明が鳩山前総理のCO2 二五%削減表明の二の舞にならないように祈りたい。日本は原発を諦めずこの事故を乗り越え今後も科学技術立国を目指していかねばならない。

国民の支持を失った政権は即刻退場するべきだ

  松下政経塾と官僚OBをオブラートにして、中身は連合と日教組中心の左翼体質を隠蔽、アメリカのオバマ大統領誕生の余勢もあってタナボタで政権を得てしまった民主党だが、その後の参議院選挙や先日の統一地方選挙の結果を見てもわかるように、民意はもうこの党・政権にはない。延命のために浜岡原発を停止するなどのパフォーマンスで国民を犠牲にしてでも延命しようとする民主党政権には、一刻も早く引導を渡さなければならない。本来であればここで自民党が内閣不信任案を出すべきなのだが、リーダーシップに欠ける谷垣総裁は菅内閣の延命に力を貸している。出せば小沢派を中心に民主党の一部も同調・可決、内閣総辞職して総選挙だ。今なら民主党は間違いなく惨敗だ。先の大戦後、日本人は報道と教育によって誤った歴史を信じ込まされ、合理的な判断が苦手となった。何もかもが間違っているので、元空幕長の田母神氏や東大医学部稲博士のような真っ当な人ほどおかしいと言われる情けない状況だ。これ以上天災を人災、菅災にすることを止め、大震災を日本が真っ当な国となるきっかけとしたい。
5月26日午後11時3分校了