社会時評エッセイ

藤誠志 社会時評エッセイ222: 政権崩壊直前のチュニジアを訪ねて

藤 誠志

新情報技術が長期独裁政権を倒す

 チュニジアで昨年十二月の中旬、失業中の若者が、職がなく路上で青果を商っていたが、許可がないことを理由に警察に商品を没収され、それに抗議して焼身自殺を図った。これをきっかけに携帯電話を手にした失業中の若者が中心となって政権への不満を訴えるデモや暴動が拡大、警官隊との衝突も発生し、多くの犠牲者が出た。民衆が二十三年間強権政治を行なってきたベンアリ大統領に退陣を求める勢いは凄まじく、一月十四日、ついに大統領はサウジアラビアに脱出し、ベンアリ政権は崩壊した。
このような事態になる直前の十二月上旬に、私はチュニジアを訪問していた。アパホテルのような日本型ホテルの展開の可能性を検討して欲しいとチュニジアの開発・国際協力大臣から依頼・招待されたからだ。あわせて首都チュニスで開催される日本・アラブ経済フォーラムへの参加も目的のひとつだった。十二月九日に成田発のエールフランス便でパリへ、そしてパリからチュニジアの首都・チュニスへと向かう予定だったのが、パリのシャルル・ド・ゴール空港が降雪のため便が遅れ、チュニジアの観光大臣とのランチは流れてしまった。しかし十日夜に行われた日本・アラブ経済フォーラムのレセプションには間に合った。翌日十一日の午前中には首相顧問大臣のメリーカ氏と特別対談を行い、ランチは元在チュニジア大使で現在日本チュニジア協会会長を務める小野安昭氏とともに氏の友人宅で、チュニジアの名物料理であるクスクスを楽しんだ。
アフリカではこれまでもエジプトやモロッコ、南アフリカ、ケニア、ウガンダやルワンダなどを訪問してきたが、歴史あるチュニスの街はそれらの国々とは異なり、非常に整然として美しかった。多少混沌とした雰囲気を予想していた私は、正直びっくりした。しかしよく観察すると、その背景が見えてきた。チュニスの街の交差点ごとに警官が配置されていて、至るところにベンアリ大統領の肖像画が飾られている。こんな独裁体制をうかがわせる光景が、数多く目に入ってきた。市街地から少し足を伸ばして、海がきれいに見渡せるチュニス近郊の町、シディ・ブ・サイードやカルタゴの遺跡も見て回った。
十二日はチュニスから南へ百五十キロメートルほど下った町、エルジェムとマハディアを訪れた。エルジェムには世界遺産となっているローマ時代の円形劇場がある。かなりきれいな形で建物が残っており、かつてここで行われた様々な競技と熱狂する観衆に想いを馳せることができた。マハディアは小さな半島にある町で、海岸沿いが高級リゾートとなっており、小野夫妻が長期逗留をしている。小さいながらも十世紀にはファティマ朝の都が置かれた歴史ある町だ。かつては城壁によって要塞化されていた町で、半島の先にあるアフリカ岬周辺には当時の門や城壁の跡が残されている。翌十三日には観光大臣のスリム・トラットリ氏と対談、国際協力大臣のモハメッド・ヌーリ・ジュイニー氏とも対談し、ランチをともにした。夕方にはチュニス郊外のザグワンにあるローマ時代に作られた水道橋を見学、夜は駐日大使のヌルディーン・ハシェッド氏の一家と、市内のレストランでディナーを味わった。

チュニジアの人々の話から窺えた強権体制への鬱積

 さまざまなチュニジア人と会う中で印象に残っているのは、小野氏の友人の話だった。元々彼はマグロの卸売の商売を手広くやっていたのだが、最近止めてしまったという。その理由は業界にベンアリ大統領の親族企業が進出してきたことだ。そのまま対抗して商売を続けると、きっとやっかいなことに巻き込まれると思い、廃業したという。ベンアリ政権崩壊後の今になって振り返ると、なるほどと思える話だ。同国では与党の党員でなければ就職も事業も困難なほど、独裁体制があらゆるところを支配していた。
かつて軍事保安局長だった彼は内務相となり、無血クーデターで政権を握り、民主化を進めイスラム過激派を抑えることで西側、特にフランスの支持を取り付けて経済成長を遂げ、一夫多妻制を廃止、女性の権利向上を図るなど、アラブの模範的な国と見られていたが、国内では大統領夫人の政治的権威を使っての不正蓄財や親族企業への優遇に対する批判が広がってきていた。二十三年もの間政権を握っていると、大統領の権威を利用して甘い汁を吸う人々が増えてきて、政治・経済に腐敗が広がるのもありがちなことだ。大統領自身も自分の一族への富の集中を当然視していたのだろう。またベンアリ大統領の官邸の周辺には、多数の兵士が武器を持って警護していて、まるで要塞のようだった。広大な大統領官邸は次々と周辺の土地を強制収容して広がっていったそうで、隣接するある国の大使館が立退きを拒否したところ、その周辺の全ての土地を接収して大統領官邸用地としてしまい、大使館員は官邸の敷地を通らないと自分の国の大使館に出入りできなくなってしまったという。これもベンアリ大統領の強権ぶりを示すことだろう。こういったことへの不満が新しい情報技術、ツイッターやフェイスブック、ユーチューブ、ウィキリークスなどの普及で共有されるようになり、これが暴発したのが今回の暴動ではないだろうか。私もその西欧寄りの姿勢と経済発展から民主的な国だと勝手に思っていたのだが、街の風景や大統領官邸の様子、元マグロ卸商の話、そして暴動の発生から、やはりチュニジアもアフリカに多く見られる独裁体制国家に過ぎず、権力に繋がる一部の裕福な人はいいものの、その他大勢の人々の不満が鬱積していたのだなと感じた。それにしてもこんなに急速に政権崩壊した背景は、駐チュニジア米国大使が大統領夫人の不正蓄財や独裁体制への批判などを書いた本国への公電がウィキリークスに流れ、米国がベンアリ大統領を支持していないと判断されたことと、軍の出身でありながら軍への影響力を疎かにして十二万人もに治安警察を増員し、それに頼ったことにあり、さらには民主化要求デモの鎮圧を頼まれた軍のトップの参謀長が「もう体制はもたない」と判断して大統領の命令に逆らい、反対に「亡命するかさもなくば逮捕する」と迫った結果である。政権崩壊後も与党を中心に臨時政権ができたが、この新体制が国民の支持を得られず混乱を収めることができないようであれば、イスラム過激派が跋扈する国となることを阻止したいアメリカ・フランスの暗黙の了解のもと、亡命を迫った参謀長の尻を押した若手将校のリーダーがクーデターを起こして政権を奪取し、戒厳令を敷いて再び軍事政権ができることとなるだろう。このチュニジアの政変劇により同様な長期独裁体制国の隣国アルジェリアやエジプトなどに与える影響は大変大きい。
今回の旅のもうひとつの目的は、チュニジアの隣国のリビアを訪れて、カダフィ大佐と会うことだった。今回の全行程が一週間だったために、リビア滞在は十四日夕方から十五日の午後までのわずか二十時間だった。リビアの首都トリポリでは、外務事務次官のアンナージャ氏に、かねて面会を依頼していたカダフィ大佐との会見を重ねてお願いしたが、一週間滞在しても会えない人がいるのに、このわずか三時間では…今度改めて時間をもって来てください、と言われて結局会うことはできず、リビアの世界遺産である北アフリカ最大のローマの円形劇場があるサブラタを訪ね、そのまま帰国の途についた。
私は今回の旅で、チュニジアで会った多くの政府関係者や対談した閣僚の中に、ベンアリ大統領の親族の方がいたため、その後の安否が非常に気にかかっている。

急速な近代化が進み内政的にも安定したリビア

ひとつ意外だったのはリビアのトリポリの街には、あんなにチュニスには多かった警官が見当たらなかったことだ。もちろんカダフィ大佐の肖像画がそこここに掛かっていたのは、チュニジアと同じだったが。五年前にアメリカがリビアをテロ支援国家の指定からはずしてから、世界で第八位、アフリカで第一位の石油埋蔵量などの資源を狙って急速に資本が入り込んでいる。ホテルやビルが立ち並び、道路などインフラが追いつかないぐらい自動車の数が増え、大渋滞を起こしていた。英語を排斥し、西側の情報が一般の人に届きにくくするカダフィ大佐の方針もあってか、外国人への対応もまだまだ不十分で、道路標識も広告・看板も全てアラビア語のみで、英語表記がまったくなかった。しかしかつての姿を知っている人は、きっとそのあまりに急速な近代国家への変貌ぶりに驚くだろう。昔は世界中の人々から極悪人のようにいわれたカダフィ大佐が自国ではさほど評判が悪いわけでもないことは、今回の訪問での発見だった。一方チュニジアではベンアリ大統領の民主化政策によって多くの人が英語やフランス語を理解するようになり、インターネットで飛び交う情報で、レイラ大統領夫人の親族企業が公共事業を仕切っていること、最近ではプラズマテレビを国内で独占販売していることなどが知られ、内部告発サイト「ウィキリークス」で、アメリカ大使が二〇〇八年の公電で『レイラ夫人とその血縁者が国民を怒らせている』と指摘していたことも暴露された。このような一族優遇が皆の知る所となり、経済が成長している時は良かったが、リーマンショック後の世界不況による失業者の増大が若者の不満を呼び、ツイッターで連携して集まり、暴動を引き起こしたものとみられる。ベンアリ大統領が官邸を要塞化して厳重に警備させていたのは、国民の不満を察していて、今回のような暴動から身を守るためだったと思われる。しかし結局守りきれず、国外脱出、政権崩壊ということになった。指導者が自分の身を守るためには、警護を固めるのではなく、民衆の支持を得るのが一番ということなのだろう。
西欧諸国からの評価が高かったチュニジアが内政的にはレイラ夫人の不正蓄財とその実弟によるチュニジア経済の支配に対する批判で民心を失っており、逆に西欧諸国から目の敵にされていたリビアが安定しているというのは、今回両国を訪問して初めて気づいたことだ。日本のマスメディアの報道だけで情報を得ていてはまったくわからないことだし、ユダヤやアングロサクソンのフィルターがかかっている海外のメディアを参考にしても似たようなものだろう。「発想は移動距離に比例する」というのは私が考えた座右の銘のひとつだが、蓄えた知識を現地に行って見聞することで検証するのは非常に大切なことだ。生来の好奇心もあってか、世界七十三カ国を訪問して各国の有力者とディベートを重ねてきたことが私の財産となり、創業から四十年間、一度の赤字も一人のリストラもせず一千億円を超える納税義務を果たし、今まさに頂上戦略として東京都心二十三カ所のホテルとマンションの開発を同時に進めるプロジェクトを行うことができている。海外を見ることで、チャンスを掴む先見力を養うことができたからだ。チュニジア・リビアから帰国した後、年越しは例年通りラスベガスでニューイヤーパーティーを楽しみ、一月下旬には二泊三日の弾丸ツアーで、香港、マカオ、海南島、広州と巡る。これはマカオにホテルを所有する香港のホテルオーナーからの招待で日本型ホテルの展開の可能性に対する視察で、海南島の訪問は建築中のホテルの運営指導を依頼されてのことだ。
私はビジネスで正しい判断を続ける「常識」を養うためにも、今後もできるだけ多くの国を訪ねていきたいと考えている。

健全な国づくりのためには健全なメディア育成が急務

私がこの号で丸二十年間このAppleTownを発刊し、対談を行ったりエッセイを掲載したり、「真の近現代史観」懸賞論文を募集するなど、誇れる国・日本の再興を目指す活動を行ってきた。この原動力となっているのは、使命感に加えて、生来の好奇心だ。事業をしている人が主義主張を明らかにすることはリスクが多いのではと心配する人も多いが、こうした行動を続けてきたからこそ考えが磨かれ、事業もうまくまわってきた。メディアの鈍感な報道だけでは、世界は掴めない。チュニジアの政権崩壊は世界のほとんどの国で即時にトップニュースとなっていたが、日本での報道は遅く、内容のつっこみも甘い。多くの人が中国で起った反日デモや暴動のようにコントロールされたものをイメージしているかもしれないが、一国の政権を崩壊させたデモや暴動はそんなものであるはずがなく、その背景に新しい情報技術の発達とアメリカの影が感じられる。日本と海外とで報道スタンスに大きな差があり、海外メディアの報道では暴動の凄まじさがきちんと報じられている。国が健全になるためには健全なメディアが必要だ。今の日本の体たらくは、教育もそうだが、メディアの責任が大きい。菅首相や仙石前官房長官、小沢氏などがメディア批判を行い、それに新聞、テレビが反発しているが、今の民主党政権はそもそもメディアが作ったもので、私にはどっちもどっちの争いにしか見えない。
かつてのメディア従事者にはジャーナリスト魂があり、自らリスクにトライして取材を行うという気概があった。今はそんな人がほとんどいなくなり、海外のニュースも、映像を買ってきて流す程度だ。これはリスクを取りたがらないようになってきた今の日本人の国民性を反映しているのだろう。努力なしで平和が手に入ると思い、なんとなく場当たり的に暮らすうちに、まるで「ゆでガエル」のように、いつの間にかとんでもない事態に日本は陥っていくのではないだろうか。下手をすれば、日本は中国の「日本自治区」となってしまうだろう。日本人が真実に目覚めるためには報道が健全化する必要があるが、それを阻んでいるのが一九六四年に結ばされた日中記者交換協定である。中国駐在の条件として中国にマイナスな記事は書かないという協定だが、逆に中国人記者は日本の悪口を、あること無いこと書き放題だ。この協定がある以上、いつまで経っても日本のメディアが中国のことを冷静に報じることができず、多くに日本人が中国を経済成長が著しい素晴らしい国だと勘違いしてしまう。これは民間企業であるメディア各社でどうこうできる問題ではない。日本国政府が協定している全てのメディアにこの協定の破棄を宣言させることだ。
事業を行いながら真実を探求する運動は、企業を危うくするのではと言う人が多いが、私にとってはそんなリスクは許容範囲だ。かつての財界人には私と同じように考える骨のある人物が多かった。しかし今は中国の経済力が増大してきたために、どんな企業も中国からモノを買うか、中国へモノを売るかをしていて、メディアと同様、中国にマイナスになることが言えなくなってきている。以前は政治的中立が売りだったNHKや日本経済新聞も、産業界に近い立場のために中国寄りの報道をしている始末だ。日本のメディアはジャーナリスト魂を取り戻し、真実の報道に徹するべきである。