社会時評エッセイ

日本は一丸となって
歴史戦に立ち向かえ

藤 誠志

日本の反対にも拘らず捏造の南京大虐殺が記憶遺産に

 十月十日の産経新聞朝刊の一面トップ記事を見て、私は唖然とすると同時に、強い怒りを覚えた。「『南京大虐殺』記憶遺産へ」という見出しの記事だ。「国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国が登録申請していた『南京大虐殺文書』が登録される見通しとなったことが九日、わかった。日本政府関係者が明らかにした。『慰安婦関係資料』の申請は却下される方向となった。これらの方針は、新規登録の可否を判断する国際諮問委員会(IAC)がユネスコのボコバ事務局長に勧告した内容で、ボコバ氏も追認したという。近くユネスコが正式に発表する」「『南京大虐殺文書』の登録によって、中国は国際機関の“お墨付き”がついたとして、歴史認識問題において新たな日本攻撃の材料を得ることになる。中国は今年、抗日戦争勝利七〇周年の記念行事を盛大に展開しており、今回の登録を成果として大々的に宣伝するとみられる」「日本政府は中国からの二件の申請について、ユネスコ関係者に『ユネスコの政治利用になりかねない』として、慎重な審査を求めていた。中国に対しても、申請の取り下げを求めていた」「中国外務省は昨年六月、国内の公文書館などが共同して南京事件と慰安婦に関する写真や日記などを申請したことを公表した」「中国が『南京大虐殺文書』として申請した資料には、捏造が確認された写真や『大虐殺』があったことを証明するには不適切な文書、所有者の許可がないまま使用された写真―などが多数含まれていることが、日本人の歴史学者らの検証によって明らかになっている。中国側は、資料は『旧日本軍が作成した』と主張。日本は検証の機会を再三求めてきたが、中国が応じることはなかった」「一方で、『慰安婦関係資料』が却下される見通しになり、二件の登録という最悪の事態は回避された。しかし、慰安婦問題をめぐっては、次回の審査に向け韓国が申請する動きを見せている。中国では韓国とともに、北朝鮮や台湾、インドネシアやオランダを巻き込んで登録を目指す計画もあるとの指摘もある。日本は慰安婦問題について、これまで以上に事実関係を国際社会に周知する活動を強める必要がある」とある。このようなユネスコの記憶遺産の登録は、女性初のユネスコ事務局長ボコバ氏が、二〇一六年十二月で任期が終了する潘基文国連事務総長の後継を狙って国連常任理事国である中国の支持を得ようとして申請を認めたとの説もある。このようなことや、ベトナムでの韓国軍による住民虐殺等の蛮行が国際的に非難されないことや、日本に決まりかかっていたインドネシアの新幹線の受注が突然中国に決定したことなどの背景にあるのは、今でも世界で根付いている、賄賂や見返りで利権を得る文化である。日本人にはなかなかできないことであるが、これに打ち勝つにはユダヤのPR・マーケティング会社等に成功報酬を支払ってでも正々堂々と正論で訴えていって、嘘や捏造と戦い、真実の歴史と日本の誇りを取り戻して行くことが大事である。

日中戦争は中国共産党による日本を巻き込んでの政権奪取のための謀略戦である

 そもそも先の大戦は、コミンテルンが一九三五年七月二十五日から開会された第七回コミンテルン大会で、西洋においてはドイツ、東洋においては日本を標的とすることが宣言され、同時に世界的に人民戦線を結成するという決議を行い、特に中国においては抗日戦線が重要であると主張し始めたことなどにより、引き起こされたと言える。コミンテルンによる中国の抗日運動指導は五・三〇事件(一九二五年五月三十日 第一次国共合作期に上海で起こった反帝国主義闘争)に始まっており、抗日人民戦線は罷業(ストライキ)と排日の扇動ではなく抗日戦争の準備を目的としていた。
 コミンテルン中国支部である中国共産党は第七回コミンテルン大会の方針に沿って翌八月には「抗日救国のために全国同胞に告げる書(八・一宣言)」を発表した。この指導により一九三五年十一月に起きた中山水兵射殺事件、一九三六年には八月二十四日に成都事件、九月三日に北海事件、九月十九日に漢口邦人巡査射殺事件、九月二十三日には上海日本人水兵狙撃事件などの反日テロ事件を続発させた。これらはコミンテルンの指導による日本を巻き込んでの中国共産党の政権奪取と世界赤化のための謀略戦と言っても過言ではない。
 謀略の発端は一九二八年の張作霖爆殺事件であり、ソ連の特務機関はこの犯行を関東軍の河本大作大佐の仕業に見せかけて、張作霖の長男の張学良の反日意識を煽った。その結果、張学良は中国共産党に接近、一九三六年に西安事件(南京から西安に共産軍討伐の為の督戦に来た蒋介石を監禁し、国共内戦の停止と挙国一致による抗日戦争を要求した事件)を起こし、それが第二次国共合作に繋がった。国民党政府の中には多数の共産党分子が入り込み、日本と国府軍(国民党軍)との戦闘を拡大させ、両者を疲弊させた後に中国を共産化しようとしていた。一九三七年七月七日の盧溝橋事件の発生原因も、周恩来首相は、一九四九年の中華人民共和国樹立の際、「われわれ中共軍が日本軍と蒋介石の軍隊の両軍に鉄砲を撃ち込み、さらに日華協定を妨げたことが、中国共産党の今日の栄光をもたらした起因である」と言明したように、当時中国共産党副主席であった劉少奇が、戦後になって、「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、現地の責任者はこの俺だ」と、証拠を示して西側記者団に発表したことが真実である。そして一九三七年七月二十九日に「通州事件」が起きた。冀東防共自治政府の中国人部隊が寝返って日本軍の通州守備隊と通州特務機関を攻撃し、日本人居留民二百二十三名を残虐な方法で殺戮したというものだ。これらの全てがコミンテルン指導による中国共産党の謀略戦である。この事件で日本国民の対中戦争の気運は、一気に高まった。一九三七年八月九日には上海で上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が中国の保安隊に殺害され、両軍間の緊張が拡大した。さらに八月十三日国府軍が上海海軍特別陸戦隊を攻撃すると共に八月十四日には、上海のフランス租界・国際共同租界に空爆を行い三千人以上の死傷者が出るに至ったため、日本政府は上海派遣軍を編成、第二次上海事変となり、本格的な日中の戦闘が始まった。たび重なる中国共産党、コミンテルンの陰謀が、この泥沼の日中戦争を引き起こしたのだ。

南京大虐殺には被害者名簿が一名分もない

 Wikipediaの「南京事件(一九三七年十二月)」の項目によると、「第二次上海事変の戦闘に敗れた中国軍は撤退を始め、逃げる行きずりに『堅壁清野作戦』と称して、民家に押し入り、めぼしいものを略奪したうえで火を放ち、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せた。日本軍は、撤退する中国軍の追撃を始めたが、兵站が整わない、多分に無理のある進撃であった。蒋介石は一二月七日に南京を脱出し、後を任された唐生智も一二月一二日に逃亡した。その際、兵を逃げられないようにトーチカの床に鎖で足を縛りつけ、長江への逃げ道になる南京城の挹江門(中国語版)には仲間を撃つことを躊躇しない督戦隊を置いていった(挹江門事件)。中国軍の複郭陣地を次々と突破した日本軍は、一二月九日には南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行った。中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、日本軍は一二月一〇日より総攻撃を開始。一二月一三日、南京は陥落した」「一二月二九日、上海派遣軍は『南京本防御線攻撃より南京城完全攻略にいたる間、我が方戦死八百、戦傷四千、敵方遺棄死体八万四千、捕虜一万五百、鹵獲品・小銃十二万九百…である』と発表した。しかし、翌年一月、「敵の損害は約八万、うち遺棄死体は約五万三、八七四」と算定した。これにつき、防衛庁防衛研修所戦史室の『戦史叢書』は『日本軍の戦果発表が過大であるのは常例であったことを思えば、この数字も疑わしい』とし、偕行社の『南京戦史』は『上海派遣軍発表の遺棄死体数は、中国防衛軍の総兵力判断六〜七万と比べ著しく過大である』としている」とある。
 この南京攻略の際に、日本軍が女性や子供も含む民間人など三十万人も虐殺したなどという『南京大虐殺』は、この攻略時の南京の人口が二十万人、一カ月後の人口が二十五万人という記録から考えても、あり得ないことだ。また上海大学の朱学勤教授が指摘している通り、「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」。国府軍の一部は軍服を脱ぎ捨てて便衣兵(ゲリラ)となり、日本軍にゲリラ戦を挑むと同時に、自国民を殺戮して金品や衣服を強奪している。軍服を着ている兵士であれば、捕獲した場合捕虜として処遇する必要があるが、便衣兵にはそうした保護は求められず、戦時下の判断で処刑しても国際法上は合法だ。また国府軍の敗残兵が行った民家への侵入、略奪、虐殺が日本軍の行為とされている。さらに挹江門事件のように、国府軍内部で督戦隊と一般の兵士の間での殺し合いも行われていた。これらが全て日本軍の仕業とされているが、それは正しくない。

記憶遺産登録問題を大きく扱わないメディア

 アメリカは、表向きの理由としては日本軍を早期に降伏させるために必要であるとして、議会機密費で極秘に開発していた原爆を広島・長崎に投下した。この投下のアメリカの真の目的は、第二次世界大戦後の覇権を握ることと、ユーラシア大陸全域に広がる勢いであった世界赤化の流れを食い止め、第三次世界大戦という「熱戦」を「冷戦」に変えることだった。しかし無警告で民間人を多数殺戮する原爆を投下することは、明らかに人道に対する罪だ。その事を責められることを回避するために、アメリカは日本を悪い国に仕立て上げる必要があった。そのために捏造されたのが、東京裁判で告発された『南京大虐殺』だ。この裁判では、六週間で南京市内と周辺で二十万人以上の人々が虐殺されたとされ、中支那方面軍司令官だった松井石根大将がその責任者として処刑されたことに後年尾ひれがつき、今にまで続いている。歴史を調べれば捏造が明らかなこの『南京大虐殺』をユネスコが記憶遺産に登録するのは、言語道断の行為と言わざるをえない。日本政府はユネスコのこの決定を見過ごしてはいけない。
 日本にとって非常に大切なこの記憶遺産登録問題を、十日の朝刊一面で報じたのが産経新聞だけというのも問題だ。日本の名誉に関わるこのニュースは、本来であれば全新聞、テレビがトップニュースとし、ユネスコの対応を非難すべきだろう。このことでも、今の日本のメディアの自虐ぶりが伺える。産経新聞はこの記事の隣に連載特集の「歴史戦」の見出しを立て、「平成二六年(二〇一四)年度のユネスコ予算の日本の分担率は米国の二二%に次ぐ一〇・八三%で、金額は約三七億一八〇〇万円。米国が支払いを停止しているため、事実上のトップだ」と報じている。アメリカが支払いを停止しているのは、パレスチナのユネスコ加盟に反対しているからだ。ユネスコが事実に反する資料を記憶遺産として登録するというのなら、日本も即座に分担金の供出を凍結すべきだ。
 先月号にも書いたが、国際社会では「真実はいつか明らかになる」というスタンスでは通用しない。間違った主張に対しては、即座に反論することが必要だ。常々私が主張しているのは、偏差値教育による記憶力勝者であるエリートが集まった外務省とは別に、三千億円の予算と三千人の人員を擁する情報省を創設し、二十四時間体制で世界中の報道などをチェックし、間違ったものがあれば、即座にその国の言葉で反論する体制を固めるべきだということだ。さらにユダヤのマーケティング会社と成功報酬を支払うという内容で契約し、国際世論を刺激して、日本が巻き込まれている「歴史戦」の勝利を目指すべきだ。例えば、今回の『南京大虐殺』の記憶遺産登録阻止をマーケティング会社へのミッションとし、成功すれば報酬を支払うのだ。

謝罪と金銭提供を止め歴史戦に論理的に対抗せよ

 日本人にはその感覚はないが、FIFA(国際サッカー連盟)の贈収賄事件でもわかる通り、世界の大半は未だ賄賂社会であり、金品を受け取り、支払った側の意に沿うような決定を下すことは当たり前だ。今回のユネスコの決定も、中国からかなりの資金が担当者に流れたのではないか。インドネシアの高速鉄道の日中の受注競争は、結局中国の勝利に終わった。賄賂など不正を働くことを文化として忌み嫌う日本に対して、中国は平然と賄賂を積み重ねたのではないか。昨年、私はベトナム戦争の時に韓国軍によって約千人の村人が虐殺され、今でもそれを記録した慰霊廟があるというベトナム南部の村・ビンアンを訪れた。多くのベトナム人が韓国に対して今でも怒りを持っているが、政府は韓国に何も言わない。その理由をガイドに尋ねたところ、政府関係者が「お茶を飲んでいるから」と言う。お茶とは韓国財閥からの賄賂のことだ。こんな世界の中でも日本は賄賂を使うことができない。であれば、正規な報酬をマーケティング会社に支払って、本当のことをしっかりと主張させていくべきだろう。
 今や国家間の戦争は、銃火を交えるものから情報謀略戦へと変わってきている。この情報謀略戦として中韓が日本に仕掛けてきているのが、歴史戦だ。歴史戦に対して、日本はこれまで事実でもないことに謝罪を繰り返し、お金を出してきた。その謝罪と金銭提供は、事実である証拠としてまた相手に利用されて、日本はどんどん追い込まれてきた。賄賂も払えない真面目な国・日本は、情報謀略戦ではずっと敗者であり続けたのだ。この状況を打破するのは、理論近現代史学的な考え方だ。歴史を論理的に、あり得るか、あり得ないかで検証し、あり得ないことであれば、情報省やマーケティング会社がこれを論破して、間違いを引っ込めさせる。まず日本が阻止しなければならないのは、従軍慰安婦の記憶遺産登録と更なる従軍慰安婦像の建設だ。日本は政府もメディアも一丸となって、捏造の歴史を巡る戦いに対抗していかなければならない。
 捏造の『南京大虐殺』は、自由社以外の全歴史教科書に掲載されている。だから中国に付け込まれるのだ。日本人に生まれてきたことが恥ずかしくなる様な教育が、まだ日本では続いている。安倍首相の戦後七十年談話は非常に良かった。七十五年談話に更に正しいことを盛り込めるよう、安倍政権は歴史の真実を追求して、「ないことはない」と強く主張すべきである。そして、日本を真っ当な国際評価を受けることができる国にしていくべきだ。

2015年10月23日(金)22時00分校了