社会時評エッセイ

張作霖爆破事件の歴史検証をせよ

藤 誠志

日本を侵略国家だとする史実が出発点から誤っている

 七十年目を迎える今年の八月十五日の終戦記念日には、私は四泊六日の旅程でインドを訪問している。交通大臣や観光大臣、キングメーカーと言われている元副首相に、ホテルを広く展開しているオーナー、著名な映画プロデューサーらと会談する予定だ。
 世界でも有数の親日国であるインドを訪れるのは、これで三度目となる。私はこれまで世界八十一カ国を訪問し、それぞれの国の要人と対談を行ってきた。どの国の人も個人的に会えば、日本の戦後の経済発展やODAなど世界に果たしてきた貢献を讃えると同時に、中国や韓国が日本のおかげで今日のように発展できたときちんと認識していた。しかし日本では、先の大戦で日本が侵略を行い虐殺を繰り返し、多くの女性を強制連行して性奴隷にしたという中・韓が捏造した歴史に則った教育や報道がいつまでも行われている。
 新聞やテレビで、日本が侵略国家だったと主張する人の多くがその始まりだとするのが、張作霖爆殺事件だ。この列車爆破による張作霖暗殺は、関東軍の河本大作大佐が指示したと、まだほとんどの日本人が思い込まされている。しかし、ロシアのドミトリー・プロホロフ氏という歴史作家が、これはソ連の特務機関の犯行だと著書に書いていることを知った私は、二〇〇九年九月二十二日に彼が住むサンクトペテルブルクを訪れ、対談を行ってきた。
 Apple Town 二〇〇九年十二月号のプロホロフ氏との対談の前段部分を再掲する。

一九八二年張作霖の爆殺事件はソ連特務機関の犯行だ

ソ連工作員の指導の下日本人が爆弾を仕掛けた
元谷 今日は対談に応じていただいて、ありがとうございます。私がプロホロフさんにお会いしたいと思ったのは、2005年にユン・チアンさんが書いた『マオ―誰も知らなかった毛沢東』という本が日本で出版され、中に1928年の張作霖爆殺がソ連特務機関の犯行だという記述があり、その出典がプロホロフさんの著書『GRU帝国』となっていたからです。

プロホロフ よろしくお願いします。実は、張作霖の件は『GRU帝国』には書いていないのです。2002年頃、軍の新聞に初めて張作霖爆殺事件に関する記事を書き、その後2004年に出版した『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』という本の中で、張作霖を殺したのは誰かという一節を書いたのです。

元谷 これがその『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』という本なのですね。ロシアでは何部売れましたか?

プロホロフ 合計で55,000部売れました。

元谷 ロシア以外でも出版されたのですか?

プロホロフ 私や共著者のアレクサンドル・コルパキヂも知らなかったのですが、ドイツで出版されたと聞いたことがあります。それ以外はわかりません。

元谷 本の内容としては、どのようなことが書かれているのでしょう?

プロホロフ ロシア以外で行われた、KGBが関与した事件について書いています。張作霖の事件はその一つです。張作霖のプロフィールに加え、なぜソ連が彼を暗殺しようと考えたか、1928年6月の爆殺とその2年前にあった暗殺未遂事件について記述しています。

元谷 未遂事件があったのは知りませんでした。2回にわたってソ連が張作霖を殺そうと思った理由は、何なのでしょうか?

プロホロフ 当時の中国の権力者は、共産党を支持するものと、張作霖のように反対するものに分かれていました。張はロシアの反革命軍である白軍の支援をしていました。さらに東清鉄道を巡って、張とソ連は決定的に対立していたのです。

元谷 そういう背景があったのですね。当時の特務機関の活動を、プロホロフさんはどうやって知ることができたのですか?

プロホロフ 歴史の本や当時の新聞などの記事、その他資料を読み込んだり、他のジャーナリストと情報を交換したりして、調べていきました。 歴史家のヴォルコゴノフ氏の本の中で、ナウム・エイチンゴンという諜報員が張作霖事件に関係があったという記述を見つけたのが、私の研究の出発点です。

元谷 先にソ連の関与を指摘した人がいたのですね。

プロホロフ  そうです。1926年9月の張作霖暗殺未遂事件は、クリストフォル・サルヌインというラトビア人のソ連の工作員が、ブラコロフという実行者を使って、奉天の張作霖の宮殿で彼を爆殺する計画でした。これは中国当局に発見されて失敗します。1928年の爆殺も実行の指揮をしたのは、サルヌインだと考えられます。 どうも彼と繋がっている人間が、日本軍の中にいたようです。

元谷 関東軍の中にソ連の特務機関の手先がいたということですか?

プロホロフ サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です。

元谷 サルヌインは最初から日本軍の仕業にみせかけるために、日本人の実行者を使ったということでしょうか?

プロホロフ そうです。日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。

元谷 先ほど名前がでたナウム・エイチンゴンという諜報員は、トロツキー暗殺を指揮したことで知られています。彼とサルヌインは、共同して爆殺に関与したのですか?

プロホロフ モスクワの命令で、別々に関与したと思われます。所属していた組織も異なりました。サルヌインは軍の特務機関であるGRUの所属だったのですが、エイチンゴンは政治的な特務機関であるKGBに属していました。1924~29年のみ、この2つの機関が一緒に活動したことはありましたが、この2人に関係があったかどうかはわかりません。

元谷 1927年に、張作霖は満州への共産主義の侵入を防ぐために、自分の軍隊を使って、ソ連の大使館員らを拘束しています。暗殺はこれに対する報復だったのではないでしょうか?

プロホロフ それも理由の一つでしょう。

東京裁判では強要されて多くの証人が偽証している

元谷 イヴァン・ヴィナロフという人をご存知ですか?

プロホロフ はい、知っています。彼もサルヌインの部下の一人です。

元谷 ヴィナロフは、張作霖爆殺時に隣の車両に乗っていたという話があるのですが。

プロホロフ それは初耳です。ヴィナロフの調査もかなり行ったのですが、彼が張作霖の事件に関与しているという資料はありませんでした。ヴィナロフはもともとブルガリア人で、事件当時中国にいたのは、確かなのですが。

元谷 彼は後に『秘密戦の戦士』という自伝をブルガリアで出版しているのですが、その中には張作霖の隣の車両に乗っていて、事件直後に撮影したという写真が掲載されています。1920年に上海でゾルゲに会ったとも書いています。

プロホロフ 本のことも、ゾルゲのことも、初めて聞きます。ヴィナロフはサルヌインの一番大切な部下でしたから、爆殺しようとする人間の隣の車両に乗せるかどうか・・・。

元谷 爆弾がどこに仕掛けられていたかに関しても、いろいろな説がありますね。貨車の天蓋が破れた写真が残っていますが、それから考えると、爆発は明らかに車内で起こったはずです。しかし定説では、立体交差の上側の線路の橋脚に爆弾が仕掛けられたとされています。プロホロフさんは、どこに爆弾があったと思いますか?車内か、橋脚か、それとも線路の上だったのか?

プロホロフ 私は爆弾の専門家ではないので・・・。しかしヴィナロフが隣の車両にいたという話が本当であれば、彼の安全を考えると、爆弾は車内にあったと考えるべきでしょう。

元谷 動いている列車の一両だけを外から狙って爆破するのは、大変難しい。全部の車両を吹っ飛ばすのなら、例えば金正日を狙って北朝鮮の龍川駅で起こった爆発のように、800 トンものTNT(高性能爆薬)を使ってなら実行可能でしょう。しかし張作霖爆殺のように、わずか300キロの黄色火薬ではそこまでの爆発は期待できません。橋脚に仕掛けたとすると、確実性が非常に低い手段をとったことになります。また線路の下で爆発したのであれば、車両は脱線しているはず。これらを考えると、私も車内に爆弾があったというのが、一番理に適っていると思います。

プロホロフ そうですね。

元谷 事件の直後ですが、イギリスの陸軍情報部極東課が本国に、「ソ連の工作だ」という報告をしたともいわれています。日本政府が「関東軍の仕業」と発表したので、改めて再調査をしたそうですが、それでも結論は「ソ連の工作」で変わらなかったというのですが・・・。

プロホロフ 英語の資料は手に入らないので、その話の詳細は知りません。

元谷 ソ連では日本の犯行と考えられていたのですか?

プロホロフ そうです。そして東京裁判でも、日本人の実行者や命令者の証言があり、関東軍犯行説が定説化していったのです。しかし東京裁判でも、ニュールンベルグ裁判でも、ソ連は自国の国益のために、日本人を含む多くの証人に偽証をさせているのです。これらの裁判の証言を信用してはいけません。

元谷 東京裁判において張作霖爆殺は、河本大佐の指示によって行われたとされました。しかし裁判当時中国の太原収容所に収監されていた河本本人を、中国は出廷させていません。彼が本当に指示を出しているのなら、裁判で証言させた方が中国側に有利なはずです。この対応からも、私は謀略戦の匂いを感じます。

※以下は、Apple Town 二〇〇九年十二月号をご覧ください。

コミンテルンの陰謀によって、日本は戦争に引き込まれた

 私はプロホロフ氏に来日を依頼したのだが、彼は家庭の事情を理由にその場では「絶対に行けない」と拒絶した。しかし日本に帰国後再度打診すると、即座に「行きます」と返事があった。プロホロフ氏は今でもロシアの特務機関と繋がりがあり、その許可を得ないことには「行く」と言えなかったのではないかと、私は推察している。二〇〇九年十二月二日にプロホロフ氏は来日し、私は記者会見を設定したが、日本の歴史を大きく変えるとも言える重要な記者会見にも拘わらず、大手メディアはこれを黙殺し一社も参加しなかった。日本の誤った歴史観の原点はこの張作霖爆殺事件であり、「イギリス陸軍情報部が当時調べたように、「使わされた爆薬がソ連製であり、間違いなくソ連の特務機関の犯行である」との電文が「英国の機密開示(W〇一〇六―五七五〇)で明らかになった」と大々的に報道すべきなのに。
 そもそも当時は中国には真っ当な政府はなく、各地を軍閥が争いながら統治していた。そして共産党軍(毛沢東軍)と戦っていた軍閥の指導者の一人が張作霖であり、彼は親日派軍閥であったため、日本側に張を殺害する理由は全くなかった。もし当時、張作霖爆殺がソ連特務機関の手によるものだと明らかになっていれば、その後張作霖の息子の張学良が共産党軍のいいなりになり、一九三六年に西安事件(国民党の蒋介石の身柄を拘束して国共内戦の停止を迫り、第二次国共合作を認めさせた)を起こして第二次国共合作が成立することもなかった。日中関係はもっと穏便なものになっていただろう。
 一九三七年の盧溝橋事件での一発目を誰が撃ったのか。中国共産党の宣伝パンフレットには、劉少奇の指示で事件を起こしたという手柄話が記載されている。これが事実だとすれば、日本軍と国民党軍を戦わせて共産党が漁夫の利を得るという謀略にまんまと嵌められたことになる。ちなみに日本軍は北京議定書に基づいて盧溝橋に駐屯しており、国際法的には合法的な行為だった。メディアや教科書がいう一方的な侵略というのは全く誤りである。盧溝橋事件の直後には、国民党政府軍と日本軍を戦わせるために、コミンテルンの指示による共産党軍が工作した中国人保安隊により二百二十三名の日本人をむごたらしく虐殺するという通州事件(一九三七年七月二十九日)が起こり、日本での反中感情は一気に高まりを見せ、支那事変(日中戦争)の大きな背景となった。この通州事件も、日本の反中意識を高めるために、コミンテルンが背後で動いて起こしたといわれている。そのすぐ後の八月には、中国軍が日本海軍陸戦隊にいきなり攻撃を仕掛けてきて、日本人や多くの外国人が居住していた上海の租界を襲撃した第二次上海事変が起こる。この中国軍に日本軍が反撃し、南京に逃げた蒋介石を追って南京を陥落させた南京攻略戦へと繋がっていく。
 論理的に考えればあり得ないことが、歴史として語られている。例えば南京三十万人虐殺説だ。陥落時の南京の人口は約二十万人、陥落一カ月後の人口が二十五万人というのがわかっているのに、三十万人を虐殺というのは計算が合わない。朝鮮半島で慰安婦にするために二十万人も強制連行したのであれば、それに対する抗議の記録が少なくともいくつかは残っているはずだ。しかし全く存在しない。つまり南京事件も慰安婦強制連行もなかったということだ。しかし中国も韓国も自分たちの行動を棚に上げて、これらの虚構に基づく日本への非難を繰り返す。日本軍とはほとんど戦っていない中国共産党が、「対日戦勝記念日」の軍事パレードを今年も行おうとしていてこれに韓国の朴槿恵大統領が参加しようとしているなどは噴飯ものだ。事実でない従軍慰安婦、強制連行説を唱える韓国もベトナム戦争時に住民虐殺を繰り返し、韓国軍の為にベトナム人を使っての慰安所を設営していたのだ。
 しかし南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行の虚構を中・韓が主張し続けるのは自国の国益のためであり、それは国としてはある意味当然の行為だ。問題なのは、中・韓に同調する反日日本人であり、彼らが支配する反日メディアや反日政党だ。蒙古襲来にも黒船にも、日本は外敵に団結して対抗した歴史がある。戦後の日本は、朝鮮やかつてのドイツのように国土を分割されているわけではないが、GHQによって考え方を分割されてしまっている。一日も早く近現代史を検証して、真実の歴史を取り戻し、自虐史観から脱却しなければならない。

アメリカの原爆投下の呪縛を解き、真の日米友好を

 八月十四日に安倍首相が戦後七十年談話を発表する。これまで「侵略」や「謝罪」を盛り込まないとしていた安倍首相だが、九月の総裁選を無風で乗り切るためには、親中派の二階氏の支持を得る必要があり、さらに公明党の理解も必要ということで、事実ではないと知りながら談話で「侵略」とそれに対する「謝罪」に触れることになるのだろう。しかし五十年の村山談話、六十年の小泉談話に引き続いて侵略を謝罪することになれば、歴代首相の発言としてこれが世界の常識になって定着してしまう危惧を私は感じる。
 急務なのは、自虐史観から脱却した先の大戦の総括だ。これをしっかりと行わないと、日本は永遠に貶められ続けることになる。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての贖罪意識を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づき、アメリカはプレスコードや東京裁判などで日本人に自虐史観を刷り込んだ。それはアメリカが原爆投下の呪縛に囚われているからだ。先の大戦末期、アメリカは議会機密費で開発してきた原爆を実戦で使用するために、日本の講和条件が天皇制の維持(国体護持)にあるということを暗号解読などで十分知りながらも、日本からの講和の申し入れを一切無視した。原爆実験の成功直後に躊躇うことなく有色人種国日本の広島と長崎に無警告で原爆を投下した。アメリカの原爆投下の目的は、戦後の世界覇権を握り、アメリカの支援によって軍事モンスターにしてしまったソ連を牽制することだった。日本との戦争が終われば、力を得たソ連によってユーラシア大陸全域やアフリカ大陸もが赤化され、それに対抗するために第三次世界大戦が勃発し、世界中で一千万人以上の人々が戦死傷する可能性があったからだ。また原爆投下は、世界で最初に人種差別撤廃条項を提案した日本に対する白人至上主義(白人が最も優秀な人種で、他の民族は劣っている)の意識もあっただろう。
 原爆投下したアメリカが「悪い国」にならないために、「悪い国日本」にアメリカが原爆を投下して、民主主義の「良い国」にしたという形を作らなければならなかった。だからアメリカは戦後まもなくして、プレスコードを作り言論を統制し、都合の悪い本を集めて焚書し、戦前の有力者二〇万人を公職から追放して、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに基づき、日本人に日本は悪い国だと刷り込み、南京虐殺や従軍慰安婦など事実ではないとわかっていながら、中・韓が主張することを黙認してきたのだ。
 日本が今やるべきは、このアメリカの呪縛を解いてあげることだ。そのためには、日本には不幸だった原爆投下だが、結果としてこれが第三次世界大戦という「熱戦」を「冷戦」に変えたと、日本がきちんと理解してあげることだ。
 今年の広島の平和記念式典には、アメリカからはケネディ駐日大使に加え、ガテマラー国務次官も出席することになった。日本が原爆投下の意義を評価することで、いずれアメリカ大統領も式典に参加し謝罪を表明する。そうすればアメリカ人をはじめとして世界中から平和を尊ぶ人々が広島と長崎を訪れるようになるだろう。東アジアでは中国が膨張する一方で、アメリカが日本の防衛費に相当する五兆円もの軍縮を毎年行って撤退しつつあり、力の空白域が生まれてきた。この空白域を日本が埋めなければ平和が維持できない。そのためにも、現在国会で審議されている安保関連法制により、集団的自衛権の行使を認め、日米安保条約を片務的な条約からいくらかでも双務的な条約に変えて日米安保条約の連携を強化していくとともに、日本はアメリカ、インド、オーストラリア、台湾等、親日国家とヨーロッパのNATO(北大西洋条約機構)のような集団的安全保障体制を作り、東シナ海や南シナ海における中国の海洋覇権に対抗していくべきだ。そんなことをインドへ向かう機中にて思い描いているのである。

2015年8月14日(金)10時00分校了